DaiGoさん
掲載日:2021.08.17
メンタリストのDaiGoさんが、自身のYouTubeチャンネルでホームレスや
生活保護受給者を差別するような発言をしたとして批判が殺到し、
結果的に謝罪するという事態になりました。
(8月17日現在)
私もその流れに便乗して彼をたたくつもりはありませんが、
私が感じたことを書いておきたくなりました。
問題とされている彼の発言を改めて記してみます。
「僕は生活保護の人にお金を払うために税金を納めているわけではない。
生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしい。
生活保護の人が生きていても僕は得しないけど、猫は生きてれば得なんで」
「自分にとって必要がない命は僕にとっては軽い。ホームレスの命はどうでもいい」
「どちらかというといない方がよくない、ホームレスって?」
「正直、邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。」
「もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、
群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。
犯罪者を殺すのだって同じですよ。
犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。
同じですよ」
そして、彼の発言に最初に批判が起きた時には、
「僕を叩いている人たちよりも僕ははるかに税金払っていて、
僕は税金の使い道を決めれる立場にないので、
残念ながら僕が払ったたくさんの税金は他の人よりも比率が高いから、
生活保護だったりホームレスの保護に回る可能性が非常に高い。
だからホームレスの人権がああだこうだ言ってる人よりは僕、助けてますんで、
そういう意味では『残念でした!』ってとこだし」と挑発的な反論を行っていました。
しかし、その後、(たぶん彼の想定以上の)大きな批判が起こり、
結果的に彼は反省と謝罪をするという事態となりました。
これを読んでみなさんはどう感じましたか?
どんなことを思いましたか?
「ひどい!」「言語道断」と思う人。
「正直に言えば、同じように思ってる」という人。
「部分的には受け入れられないけれど、一部は同感」と思う人。
きっといろいろな反応があると思います。
そうね、私も20年以上も前に札幌で初めてホームレスの人を見た時には、
正直、「うわ!汚い」「近寄らないでほしい」って思いました。
その衝撃と、次に浮かんだのは「この人はどんな人生を歩んできて、
今ここにこうしているんだろう?」という疑問でした。
そんな思いがぬぐい切れなくて、当時は今ほど支援団体がない中、
釜ヶ崎でホームレスの人たちを支援している人たちに話を聞くために大阪まで飛んでいきました。
実際にホームレスの人たちと話してきました。
そんな私ですが、今回DaiGoさんのこれらの言葉を目にした時に
真っ先に起きた反応は「吐き気」でした。
頭(思考)で何かを考えるより先に、体が反応しました。
生物として?人間として?の私が、彼の言葉に接した時、
なんというか、内臓が「ぐわん」と大きく動くような、不快感が起きました。
それは、先日の東京オリンピックの開会式の音楽担当を外された小山田圭吾氏の
「学生時代の障がい者への暴行」を知った時にも感じた
内臓が「ぐわん」「ぐわん」と大きく動くような、不快感でした。
(小山田圭吾氏は実際に「いじめ」という範疇には入れられないほどのひどいことを
障がいのある同級生に実行して、武勇伝のように語っていたのですから言語道断だと思います。)
ここで私は、DaiGoさんに対してすでに散々指摘されている「優生思想」云々とか、
生活保護を受けている人やホームレスの人たちのことに改めて触れようとは思いません。
それに関しては、生活困窮者自立支援団体の方たちを含め
さまざまな立場の人たちが十分に指摘していますから。
私は今回の件で私自身が感じたことや思ったことを書いてみます。
まずは、先ほど書いたように、私に真っ先に起きたことは、
「人の命は平等」などという正論の前に、
理屈(頭)ではなく、体が「吐き気」という反応をしたということです。
その反応に、まず私自身が驚きました。
彼の発言の何に私の身体は反応したのか?
これは後付けになるので、違うかもしれませんが、「この辺かな?」と思う部分があります。
ホームレスの人たちのことを「いない方がいいじゃん」と言って、続けて
「もともと人間は、社会や群れの利益にそぐわない人間を処刑して生きてきた」
「犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害がある。だから殺す。同じですよ」
と述べて、ホームレスの人たちの社会からの排除や抹殺まで示唆した点に
私の身体は違和感や不快感や拒否感などでは収まらない大きなものを感じたようです。
後付けの理屈であえて言葉にすると、
同じ人間が「この人は要る」「この人は要らない」と選別できて、
「殺すことさえできる」という考えを普通に悪びれも無く言えているということに、
私の身体は大きな拒絶を示したのだと感じます。
身体の反応のみではなく、彼の主張に対して私は思考としても別の考えを持っています。
彼は「もともと人間は、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてる」
と言っていますが、私はそうは思っていません。
「牙も爪も翼も持たない私たち人間は、
弱い立場の人たちを含めて自分と違う人たちと一緒に助け合うことで、
色々なことを乗り越えてここまで生き延びてきた」と思っています。
「群れ全体の利益にそぐわないものを殺してきた」なら、それは獣ではないでしょうか?
私は、「人間は助け合うことで生き延びてきた」と信じています。
そしてさらに言うなら、助け合うプロセスの中で、助けられた人も助けた人も
共に幸せを感じられるのが人間の豊かさなのではないかと思っています。
そしてその関係はいつ逆転するかわからないし、
そこに優劣もないように感じています。
多くの批判を浴び、CMを下ろされたりする中で、彼は反省と謝罪をしたようですが、
言葉での反省や謝罪よりも、彼が今回のことをどれほど深く受け止めて、
どのようなことに気づいて、あるいは気づかずに、生きていくかによって、
彼の人生の質は大きく違っていくのでしょう。
彼はものすごく頑張ってきた人なのだろうと思います。
だから頑張ってこなかったように見える人を非難したい気持ちになったのかもしれません。
その気持ちは、私もわからないではありません。
私自身、シングルマザーとして身を粉にして働いても非常に貧しかった時に、
生活保護費の額を知って、「こんなに頑張って働いている私より、
働かずに楽をしている人たちの方が多くお金をもらっているの!」と
腹立たしい気持ちになったことがあります。
そんな昔の私のように「自分の頑張りが報われていない」と感じる人たちが、
生活保護受給者の実態をよく知らず、自身の内側にある「不公平感への怒り」から
「生活保護受給者を叩きたい」として彼の主張に賛同していることもあるでしょう。
でも彼はそのような「報われない立場」からではなく、むしろ「勝ち組」として、
努力が報われて高額の報酬が得られて高額の税金を払っている立場から、
自分の払った税金が生活保護受給者に使われることが気に入らないと言っています。
この彼の態度には、私は2点言いたいことがあります。
一つは、彼はたまたま「努力が報われる人生を、ここまで歩めてきた」ことです。
彼は運よくそういう人生を歩めただけだと私は思っています。
どんなに努力をしても、なかなか結果に結びつかない人生になってしまう人も多くいます。
努力や頑張りをくじかれ続ける人生の人もいます。
更には、「努力をする」「頑張る」という気力さえ育てられることがなかった人もいます。
人生のどこかで大きく心身を傷つけられ、その後は生きる気力さえ奪われてしまった人もいます。
DaiGoさんは、たまたまそういう環境に置かれなかったということです。
私も同じです。
私もかなりの頑張り屋さんだと思っていますし、逆境を乗り越えてきたとも思っています。
ですから、あまり努力をしていなさそうに見える人や頑張っていないように見える人に対しては、
厳しい目を向けがちになる自分がいることを感じています。
それと同時に、
「頑張りたいことを頑張れる」ということはとても幸運なことなのだとも感じています。
頑張ることができて、その結果、今こうして自分で何とか生活できていることに感謝しています。
「たまたまそうできなかった人はもしかしたら私だったかもしれない」
という気持ちはいつもあります。
たまたまの運で、たまたまの分かれ道で、
「私の代わりにあの人があの運命を引き受けてくれたのかもしれない」
という気持ちは常にあります。
だから、もし私が支援できる立場にあるなら、
十分ではないかもしれないけれど、支援することは自然なことです。
支援させてもらえる立場に感謝します。
そしてもし立場が逆転した時には、助けてもらえたら素直に「ありがとう」と言いたいです。
そして、「頑張っている」「努力している」ことも素晴らしいですが、
そうでなくても「ただ生きているだけですごいことだ」と
たくさんの人たちの話を聞く立場として強く感じています。
「人はこの命を生きているだけで十分に価値がある」と、
これはきれいごとではなく、
色々な境遇の人たちと出会う中で実感してきました。
そしてDaiGoさんには、
「自分は多く税金を払っているんだから、自分より少ない税金しか払えない人間に
とやかく言われる筋合いはない」などと開き直るのではなく、
「多く税金を払えるくらい努力が報われる人生を歩めていることに感謝して」、
ここからはもう一点の私が言いたいことにつながるのですが、
「その税金の使い道を、弱い立場の人に出し惜しみするのではなく、
もっとおかしな使い方をしていることに物申してほしい」と思います。
森友学園、加計学園、桜を見る会などを始め、
最近ではコロナ禍での持続化給付金支給事業やオリンピック関連事業でも、
あらゆるところで首相やその周辺の権力者個人や
仲良し企業に莫大な税金が流されています。
DaiGoさんのように影響力のある人なら、そのような大きなところを突いてほしいです。
それとも、あなたは権力者と仲良しだから成功したのでしょうか?
もしそうだとしたら、権力者の不正には目をつぶり、弱い立場の人を叩く道を選びますよね。
そうではないなら、莫大な税金を自分の利益のために使っている権力者たちに
大きな声でモノを申してほしいです。
DaiGoさんは「猫を救ってほしい」と言っていました。
猫好きとしては、「ありがとう」という気持ちです。
そして、猫の命を大切に思える人なら、
この先、様々な環境に置かれている人に対しても
今とは違った気持ちを抱ける可能性を私は感じます。
「効率的で、人を役に立つか立たないかで選別し、排除する社会」に暮らすより、
「いろんな人がいて、多少非効率でも、公平・公正さがあって、
もっと多くの人たちの努力が報われる希望のある社会」に私は住みたいです。
「いつか自分も排除される側になるのではないかと恐れを抱かなくてすむ、
お互いに助け合える安心な優しい社会」に私は暮らしたいです。
そのような社会の住人として、いつかDaiGoさんと出会ってみたいです。