違うからこそ
掲載日:2017.07.11
前回のコラムで私自身のことを
「悲しみや辛さを受け止めてもらえなかったことが悲しかった」と書いたことで、
気にかけてくれる人たちがいたようなので、そこから始めます。
「わかって欲しいことを受け止めてくれなかった」のは、例のごとく「わが娘」です。(笑)
まったくね~。
人の相談に乗っているのに、我が子とはこうなんですからお恥ずかしい次第です。
でも、「受け止めてもらえずに悲しかった」のは、一晩だけでした。
翌日には、また二人で話しました。
私も「わかってほしかった」し、娘も「ちゃんとわかるように話してよ」と言ってくれたので。
丁寧に私の気持ちや事の経過を話したとき、娘からの反応に驚きました。
「お母さんがそんな気持ちでいるなんて、思いもしなかったわ」って言われました。
「(関係者は)誰もお母さんがそんな気持ちでいるとは、思いもしないと思うよ」と言われました。
「そうなの~?!」と、お互いにびっくりでした。
ミスコミュニケーションって、こうして始まるんですね。
数カ月に1回「アドラー勉強会」を行っています。
そこに参加してくれる人たちは、もしも今回の出来事を話したとしたら、
私の気持ちをすっとわかってくれると思いました。
でも、娘や今回の関係者たちは、私と感性がこんなに違うんだと改めてわかりました。
だからね、「話す」って、「話し合う」って、大事なことなんですよね。
私にとっては、アドラー勉強会のメンバーのような人たちばかりだと
どんなに気持ちがラクだろうと思います。
一人一人にとって、このような安心安全な場を持っていることは大事なことだと思います。
でも、当たり前ですが、自分とは違う感性や考え方の人たちが世に中にはたくさんいる。
私たちは、「違う」人たち同士でこの社会に存在している。
だからこそ、「違うから、話さない」とか「違うから、排除する」ではなくて、
「違うからこそ、しっかりと伝え合い話し合う」ことが必要なのだと、
「自分ごと」を通して改めて感じています。
私たち母娘には感性の違いがある上に、離れていた10年の間に身につけたお互いの価値観や考え方があります。
今 私たちは、その「溝」を埋めていく作業を(無意識にではあっても)しています。
分かり合えなくて感情的になることもあるけど、そのあとにちゃんと話し合うことができます。
お互いの思いを伝え合って、分かり合う努力をすることができます。
娘とのことを通して感じるのは、
対立をしないことが大事なのではなくて、
違うことがわかったら、「そこからちゃんと話し合うことができる」ことが大事なのだということです。
この社会は、「違う」ことだらけです。
同じ人ばかりだと心地よいかもしれないけれど、社会の発展や深みは得られないと思います。
「違い」を「良さ」に変えていく秘訣は、「伝え合う」「話し合う」ことなのだと思います。
身近な出来事からアメリカや日本の政治的なことまで、
「違うから切り捨てる・排除する」のではなく、
「違うところから話し合う」姿勢を持ちたいものですね。
時に難しいし、わからない相手を批判したくなることもあるけど、
やっぱり話し合うことによってでしか、本当によい方向には進んでいけないのだと思います。
そして、話し合えるためには、大前提として「対等」でなければならないのだと思います。
親子であろうと夫婦であろうと仕事関係であろうと、どのような関係であっても、
人としては対等感がなければ、話し合うことはできないのだと感じます。
「親と子」「夫と妻」「上司と部下」「会社と顧客」「多数派と少数派」など立場としての違いはあったとしても、
人としては対等にお互いに耳を傾ける姿勢が大事だと
クライアントさんの持ち込んでくるさまざまな課題を通して感じています。
もしも「対等」に話ができず一方的に批判や否定をされるばかりなら、
それはあなたが尊重されていないということですから、
そんな関係しか持てないのであれば、自分を尊重するためにその場を離れることを勧めます。
対等に話し合う努力をお互いにすることが可能な関係であるかどうかの見極めをして、
その関係から距離を置くか場合によっては関係を切ってもいいと思います。
「違う」ことは悪いことではない。
「違う」ところから「話し合う」ことができた時、
私たちはより大きな喜びや豊かさや関係性を手にすることができると思います。
そしてそれは、「相手を自分の思い通りにしよう」という気持ちからではなく、
「より良い方向に向かうために分かり合いたい」という双方の気持ちに上に成り立つものだと思います。