見えない、気づかれにくい虐待
掲載日:2019.08.20
少し暑さも和らいできましたね。
この季節、私は毎年1㎏太ります。
そして、元に戻らず翌年の夏も1㎏太る、ということを繰り返して今に至ります。
なぜって、「とうきびが美味しい!」からです。
ダイエットで効果を上げている札幌の妹も、とうきびの季節は「ダイエット中断」だそうです。
「こんなに美味しいとうきびを食べずして、道民と言えるか!」というところで、
私はせっせと朝採りのとうきびを農家さんに買いに通っています。
こんな幸せを感じる季節を過ごしている私の耳に、
あけ放った窓からヒステリックに子どもを怒鳴る声が聞こえてくることがあります。
子どもを育てていれば、時にこのような状況になってしまうこともあると、
心当たりのある親も少なくはないでしょう。
そして、多分、多くの親は、そうしてしまった自分に対し、後で自己嫌悪に陥ると思います。
その一方で、反省も後悔も自己嫌悪もなく、当たり前のように子どもを罵倒し暴力をふるい続ける親もいます。
たぶん、親自身が子どものころに同じようにされてきた人が大半でしょう。
また、職場や社会でのストレスを、当然のように子どもにぶつける人たちもいます。
子どもを怒鳴ったりたたいたりする声や音。
そして「ごめんなさい!」と泣き叫んでいる子ども。
恒常的にこのようなことが行われていれば、
最近では住民から通報される可能性が高まってきました。
まずは、そのような子どもたちが救われて、
親が自分のやっていることは悪いことなのだという認識を持つきっかけとなり、
そこからなんらかの支援に結びついて親子を支えられるようになってほしいと思います。
危惧することは、通報されて児相なり警察なりに訪問され育て方について確認されると、
次に「親を支える仕組み」に繋げられなければ、
親は外に声が漏れないように気をつけるだけであって、
虐待は隠されながら続けられるということです。
現状は、児相や警察の介入はあっても、子どもに発達障害など何らかの問題がある以外は、
子育てに困難を抱えている親への支援はほとんどなされることはないと言えるでしょう。
支援されない親は、やはり立場の弱い子どもへの虐待を続けていくことになります。
このような外に見えやすい、わかりやすい虐待に関してだけでもまだまだ課題がある上に、
「外に伝わりにくい」「気づかれない虐待」に対しては、
ほぼ手付かず状態だということを、相談を通して痛感します。
その最たるものは、家族・親族による性虐待です。
今回は、そのことには触れません。
あまりに悲しすぎて辛すぎてむごくて、今の私には語る言葉がありません。
社会が早く「家族神話」から解き放たれて、
「家族という器の中で起きている闇」の部分を引きずり出すことができるまでに、
人々の意識が高まることを切に願うしか今の私にはできません。
そんな私が今触れられるのは、子どもが泣き叫ぶこともない虐待についてです。
きつい叱責はあっても、外に漏れるほどの大声ではありません。
ただただ子どもを責める・否定する・親の価値観を押し付ける。
長期間そのような関わりで育てられた子どもは、
自尊心を奪われ、自分が何を感じているかさえわからなくなります。
そしてそれは、誰からも気づかれることはありません。
誰からも気づかれることもなく、親自身も子どもに致命的な関わりをしている認識を持たず、
子ども自身も自分の大切な部分が壊されていくことに気づかずに育っていきます。
暴言や暴力などの「わかりやすい不適切な関わり」とは違う、
「とても判りづらい不適切な関わり」を受けて育ってきた方たちの生きづらさは、
実家を離れ自分の家族を持って40代50代60代になっても癒えることはありません。
そのような方たちは、たいていの場合、ご自分が「不適切な関わり」をされてきたことを認識できていません。
「虐待はされていません」「一生懸命に育ててもらいました」と、そのような方たちは言います。
でも人生がうまくいかず、いつも心の奥に言いようのない苦しみを抱えています。
そのような方と関わっていくと、コミュニケーションにゆがみがあることが多いです。
ですから、ご自分ではいつも一生懸命なのに人間関係がうまくいきません。
また、ご自分の感情がわからないという方も少なくありません。
もちろん暴力や暴言などもひどいことなのですが、
そうした人たちは、親を批判したり憎んだり他人に伝えることもできます。
しかし、そうとはわかりにくい不適切な関わりをされて育った人は、
「自分がひどいことをされた」という認識を持てないので、
他人にわかってもらうことができないのはもちろんのこと、
自分自身でも訳が分からない生きづらさを抱え続けることになります。
心が壊されてきたにもかかわらず、
「一生懸命に育ててもらったという魔法」にかかっている人に
目覚めてもらうことは、けっこう難しいです。
更には、よく知られている「真綿で首を締める」というような虐待とも違う、
優しいけれど心が混乱するメッセージを子どものころから受け続けてきた人は、
原因に目を向けることを無意識に避ける傾向があります。
自分の生きづらさの原因に向き合うことが難しいために、
心の修復や回復のための必要な関わりを受け入れることが難しくなります。
結果として、自分の気持ちを感じたり感情を表現することができなくて、
苦しみから抜け出すことが困難となっています。
そんな残酷な「子ども思いの親」を持った人たちを、その苦しみからどう救っていけるかが、
今の私の大きな課題の一つです。
同時に、そのような親や子どもをこれ以上生み出さないような社会になっていくことも
絶対的に必要なことだと思います。
それには、まず大人が癒される必要がありますし、
大人がこれ以上ストレスを受けたり傷つけられない社会になっていくことが
絶対に必要だと思います。
そして今、「あおり運転」の問題が大きく取り上げられています。
本当はこれまでも頻繁に起きていたことだし深刻な問題であるにもかかわらず、
当事者以外にはあまり重大に捉えられていませんでした。
今回はドライブレコーダーという「起きたことを世間に知らせる」ツールがあったことで、
直接被害に遭っていない私たち一般人にも、そのひどさがストレートに伝わりました。
「家族」という「そこで何が起きているのかが外に漏れない空間」にも、
「虐待や不適切な関わりが起きた時には世間が知ることになる装置」が開発されたらいいと思います。
誰にも知られず心や体を壊されていく子どもたちが救われることを、心から祈ります。