自然に楽に生きていこう ~母と娘の奮闘記~

掲載日:2021.02.16


私は長年実の母のことで悩み、生きづらさを感じてきましたが、紀代子さんとの出会いを通じて、今は自分の人生を歩き始めています。

今回紀代子さんから、昔の私と同じように悩み苦しんでいる方に向けて、私の体験談を書いてみませんか、とご提案をいただきました。
お引き受けしてよいものか悩みましたが、私の経験がどなたかの希望や励みになればと思い、書かせていただくことに決めました。
今回このような機会をいただいて、これまでの経験を文章にすることで、辛かった経験を客観視することができ、私自身も癒された気がします。
つたない文章ですが最後までお付き合いいただけたら幸いです。

私は、父・母・母方の祖母の4人家族の中で、一人っ子として育ちました。
振り返ると、私は幼少期から母とはあまり馬が合わなかった気がします。
明確に「嫌い」とは思っていませんでしたが、よく怒られていたし、褒められたり、抱きしめられた記憶はほとんどありません。

ここからは、私が結婚して家を出てから約10年の間に起きた、私と母の話です。

今の主人とは、2年ほどのお付き合いを経て結婚の話になりました。
(この頃父と母は離婚しており、私は既に主人と同棲していたので、実家には母と祖母の二人でした。)

結婚の話までは順調に進んだのですが、いざ籍を入れるとなった途端、母の態度は一変しました。
「私を置いて家を出ていくなんて裏切り者だ!」と猛反対され、入籍は延期となりました。
(主人との兼ね合いもあり同居の選択肢はありませんでした。)

それから数ヶ月、何とか説得して入籍までこぎつけましたが、そこからが大変でした。

母を置いて家を出たことにいつも罪悪感を抱えていた私は、母のためにできることは何でもやらなければ、と思っていました。
母は車の運転ができないので、毎週末は買い物のために必ず実家へ向かいます。
向かう途中は母の機嫌が悪くないことを祈りながら、いつも緊張していました。
本当は行きたくないので、家を出るまでの準備もなかなか進まず、重い腰をあげてやっとこさ家を出るといった感じです。

結婚後も毎月母に仕送りをしていたので、とにかく働かなくてはという思いが強く、子供については二の次になっていました。
主人も実家の状況は分かってくれていたので、自分から子供が欲しいとは一度も言いませんでした。

そんな感じで自分では母の為にできることを精一杯やっているつもりでしたが、何かにつけて母から心無い言葉を浴びせられました。

「親を置いて出ていくなんて信じられない」、「離婚して戻ってこい」、「私がどんなに寂しい思いをしているか、お前に分かるのか」、「親を泣かせていいと思っているのか」、などは耳にタコが出来るほど聞かされました。

私は自分の気持ちをあまり言わないタイプなので黙って聞いていると、「なんで何も言わないんだ。何か思ってることがあるなら言ってみろ」と言われます。
頭が真っ白になりながらも何かを発すると、「言ってることがよく分からない。私が間違ってると言いたいのか!」などと言われる始末。
そこからは何も言えなくなり、許してもらえるまで謝って、なんとかその場を収めてから家路に着くといった感じです。

私は母が泣いているのは自分のせいだと思いつつ、どうしてそこまで言われなければならないのかと、いつもモヤモヤした気持ちを抱えながら、辛く苦しい日々が続きました。

そんな日々を繰り返していたある日、私が実家に泊まっていた次の日の朝に事件は起きました。

リビングでTVを見ていた時に、私が何気なく放った一言が母の地雷を踏んでしまい、いつものように何だかんだ言われた後に、「あんたが泊まりにくると好きなTVも見れないんだよ!」と言われ、私の心はポキンと折れました。

私だって泊まりたくて泊まってるわけじゃない。母のために泊まってあげてるのに、なんでそんなことまで言われなきゃならないの!

今までは母から何を言われても泣いて謝って母が許してくれるまで帰れませんでしたが、この時は違いました。
このままここに居たら何をしてしまうか分からないくらい、怒りで体が震えていました。
無言で実家を後にして、家に着いて布団にくるまって大泣きしました。
誰か助けて!と叫びながら、頭がおかしくなりそうでした。

しばらく経って落ち着いてきたころに、この気持ちを誰かに聞いてほしい!と思い、スマホを手にしました。
そこで目に留まったのが紀代子さんだったのです。
藁にもすがる思いで電話をしました。
紀代子さんは号泣しながら話す私を、優しく包み込むように話しを聞いて下さいました。
あの時はこんな私の話を聞いてくれる人がいるんだと、心から救われた気持ちでした。
確か電話は30分くらいだったと思うのですが、電話を切った後に直感で紀代子さんのセッションを受けたいと思ったのです。
それが3年ほど前のことです。(結婚して約9年の頃です)

そしていよいよセッションが始まりました。
まず初めに訪れた最初の難関は、“母と距離を置く”ということでした。
紀代子さんから提案された時は、そんなこと絶対に出来ないと思いました。
距離を置きたいと伝えたら母から何と言われるだろう、怒り狂って家に押しかけてくるのではないか、もしくは死んでしまうのではないかとすら思いました。
でも私は今までの生活を終わらせたいと強く思っていたので、紀代子さんの全面的なサポートのもと、母と距離を置くことを決めました。
母へ送るメールなども紀代子さんにチェックしてもらい、いざ母へ距離を置きたい旨のメールを送りました。
詳しい内容は覚えていませんが、案の定怒りに満ちた返信が届いたと記憶しています。
私はその返信に対して返事はしませんでした。

そしていよいよ母と距離を置く生活が始まりました。
最初の頃は毎日毎日母のことしか考えられず、家に来たらどうしよう、道であったらどうしようなど怯えて過ごしていました。
いっそのこと謝って実家に行ってしまおうかと思ったこともありました。
辛くて怖くて逃げ出したくもなりましたが、その間にも紀代子さんにはセッションをしながら支えてもらっていたので、一人じゃないと思えていたことがとても心強かったです。

そうして距離を置いてから一か月ほど経った時(実際はもう少し短かったかもしれません)、久しぶりに母からメールが届きました。
一瞬にして緊張が走りました。
震える手でメールを開くと、「祖母の調子が悪いと施設から連絡があったから、一緒に施設へ行ってほしい」という内容でした。(この頃祖母は施設に入所しており母は一人で暮らしていました)
私は半信半疑でしたが、祖母のことを出されると無碍にも断れず、意を決して実家へ行くことにしました。

あの時の緊張は、今思い出しても動悸がするほどです。
母はどんな姿でいるのか、実は祖母の件は私を呼び出すための嘘でめちゃくちゃ怒られるのではないか、また泣かれて元の生活に戻ってしまうのではないか、などありとあらゆる悪いことが頭の中を駆け巡りました。

そして実家に着き、いざ玄関を開けると、そこには普通の母がいました。
そして第一声が「ごめんね、ありがとう」でした。なんだか拍子抜けです。
それからも距離を置きたいと言ったことには一切触れられず、祖母の施設に行っただけでお別れしました。
この時に、“母は私がいなくてもちゃんと生活できるんだ”と思ったことを覚えています。

それからも母とは適度な距離を保ちつつセッションを続けました。

そして次に訪れた難関は、「自分のやりたいこと、好きな事が分からない」でした。
毎週末実家に行かなくなったので、休日は自分のために使えるようになりましたが、やりたいことが全くないのです。
一日中スマホを片手にダラダラして終わる日々が続きました。
今までのような緊張がないだけでも体は随分休まっていたと思いますが、心が空っぽになってしまったような感じでした。

そうすると嫌でも自分と向き合う時間が増え、「あー私も今まで母に依存していたんだ」、ということに気付き始めました。
不都合なことは全部母のせいにして私も現実から逃げていたのだと思います。
特にやりたいことも無いのに、“やりたいことが出来ないのは母のせい”とか、友達もそんなにいないのに、“友達と遊べないのは母のせい”とか、“母のせい”にしてしまえば楽なことが沢山ありました。
そこに気付いた時、私も母から自立しなければと思ったのです。

“やりたいことが分からない”ということは、セッションの中で何度も相談していました。
その時紀代子さんは、「やりたいことが見つからなくてもいい。普通に暮らすだけでいい。私これが好きだなーと感じながら暮らしていくだけでいい」、と仰って下さいました。
多少ニュアンスの違いはあると思いますが、その言葉はとても印象深く残っています。
そこからは何かやらなくては!と焦るより、自分が好きだな、心地良いなと感じることを大切にして生活することを心がけました。

そんな生活を始めて少し経ったころ、私は子供について考えるようになりました。

結婚して約10年、これまでは心も体も母に支配されている状態だったので、自分が子供を持つことを具体的に想像できませんでした。というか“この状態で子供を持つなんて絶対に無理”と思っていました。
そんな中友人や同僚は次々と出産し、お母さんになっていきました。
嬉しい反面羨ましくもあり、正直心から祝福できない時もありました。
そんな自分も嫌で、何度も落ち込んでは泣きました。
又、結婚から10年も経っていたので、主人と改めて子供について話すこともなくなっていました。
もはや自分は本当に子どもが欲しいのかさえ分からなくなっていました。

そのことを紀代子さんに相談すると、「この先自分が“母親になれない”と思った時の気持ちを感じてみて」と言われました。
少し時間をもらって感じてみると、ボロボロと涙が出てきました。
それが答えでした。
そして次のセッションまでに主人に今の気持ちを伝えることを約束しました。

しかし、いざ伝えようと思うとなかなか切り出せず、時間ばかりが過ぎていきました。
でもここで伝えなければ一生後悔する!と思い、思い切って打ち明けたところ、主人は私の気持ちを受け入れてくれました。
本当はずっと子供が欲しかったのかもしれないと思うと、10年という長い時間待たせてしまったことに、とても申し訳ない気持ちになりました。
同時に感謝の気持ちも湧いてきて、これからは主人との生活を大事にしようと思いました。
そのことを紀代子さんに報告すると、「赤ちゃんができるような気がするよ」と仰って下さいました。
とても嬉しかったのを覚えています。

それから半年ほどセッションを続けましたが、私の諸事情により一度終了することになりました。
終了する時、完全に母の呪縛から解放されました!という状態ではなかったのですが、確実に1年前とは違う自分がいました。
一番変化を感じたことは、“私は幸せになっていい”、“私の選択は間違ってなかった”と心から思えていたことです。
セッションを受ける前は、母を悲しませ、母を置いて家を出た私は幸せになってはいけないと思っていました。
主人と結婚したことも間違いだったと思い、正直離婚を考えたこともありました。

でもセッションを受けた後は、家を出たことも結婚したことも、自分で決めたことだから、それは間違いではなかったと思えていました。

そして私が変わったことで母も変わりました。
本人に変わった自覚があるかは分かりませんが、確実に変わったと思います。
以前は私がいないと生きていけないのでは?と思うほど依存されていましたが、今は自分のことは自分でやり、母なりに自分の生活を楽しんでいるように感じます。

紀代子さんのセッションは魔法のようで、その時はなかなか変化に気付けなくても、後から振り返ると大きく変わっている事に気付きます。
毎回セッションが終わった後に、紀代子さんからかけて頂いた言葉を振り返ったり、やってみるといいよと言われたことをやってみると、次のセッションまでに新しい気付きがあって、その小さな積み重ねが、半年後、一年後に大きなご褒美として返ってくるという感じです。
なので、私はセッションが終了した後も、心の整理がつかなくなると単発でセッションをお願いして、自分と向き合うことを続けてみました。

そしてセッションを終えてから約半年ほどして私は息子を授かりました。
妊娠が判った時は信じられず、検査薬を持った手が震えたのを覚えています。
主人をはじめ、家族みんなが息子の誕生を喜んでくれました。
もちろん紀代子さんもとても喜んでくれて、第3のばあばにまでなっていただきました。
その息子は先日一歳を迎えたところです。

出産後、母は何かと手伝いに来てくれて、息子の面倒もよく見てくれました。
とても有難く助かっていたのですが、必然的に関わりが増えたことと、産後のホルモンバランスの乱れからか、一時昔のトラウマが蘇ってきて、母といる時間がしんどくなっていきました。

紀代子さんに単発のセッションをお願いしたりしながら、なんとか気持ちを保っていましたが、また頭の中が母でいっぱいになりそうでした。
これから息子を育てていく中で、この状態は辛いなと思い、私は母に胸の内を打ち明けてみようと思いました。

いつものように母が手伝いに来てくれていた日、ちょうど母の日が近かったので、急に今だ!と思い、緊張しながらも自分の気持ちを伝えてみました。

最初は日ごろの感謝を伝えて、その後はこれまでにあった色々なことがトラウマになっていたことや、これまでの気持ちの変化などを話しました。
母は黙って聞いてくれました。
そして、私に酷いことを言ったことは自分でも自覚していると言ってくれました。
こんなにストレートに母に気持ちをぶつけたのは初めてだったので、どんな反応が返ってくるか怖かったのですが、母が私の話を受け止めてくれたことで、母は話せば分かる人なんだと分かり、その日からとても心が軽くなりました。

今までは母と一緒にいると、余計なことを言わないようにしなきゃ、とか、別れた後も、あれ言わなきゃよかったかな、とか、あの態度大丈夫だったかな、など色々なことが気になっていたのですが、今ではそのようなことがほとんどなくなり、母といることが苦痛ではなくなりました。
こんな日がくるなんて、自分が一番驚いています。

3年前の私は未来に希望が見い出せず、毎日どこにもぶつけられない不安や怒りを抱えて過ごしていました。
でも今は10年後、20年後の自分に出会うのを楽しみにしている自分がいます。

私は紀代子さんとのセッションを通じて、“人は変われる”、ということを身を持って体験しました。
今でもたまに昔の感情が蘇り、母や父に対する怒りや憎しみが込み上げてくることもありますが、そんな時は自分を責めたり落ち込んだりせず、そんな時もあるよねと、とことん甘やかすようにしています。

これからも迷ったり悩んだり色々なことがあると思いますが、“私の一番の味方は私”でいられるように、引き続き自分と向き合っていきたいと思います。

長くなりましたが、最後に紀代子さんとの出会いと、ここまで導いていただいたサポートに心からの感謝をお伝えし終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。