納得して生きていくために

掲載日:2024.09.24


今回は私のことを書きます。

数か月前に「指が痛いこと」「へバーデン結節だと診断された」ということを書きました。
二人の医師に「へバーデン結節」と診断されたその後です。

実は私の中で「へバーデン結節」の診断には納得がいっていませんでした。
二人の整形外科医がそう言っていても、
私の中ではモヤモヤするものがありました。

診断される前から自分で調べて
「へバーデン結節」については知っていました。
だからこそ、その診断には納得がいっていませんでした。

医師の1人は「ギブスをはめて」(つまり「動かさない」ように)、
もう一人は「痛くても動かす」ということだけで
特にこれといった治療についての話はありませんでした。

一見すると「へバーデン結節」ですが、
私の内側の感覚が「違う」と言っています。

しかも痛い!
何をするにも痛い。

このモヤモヤと痛みを何とかしたくて、
私の整体の先生に相談しました。

私はテニスを始めた数年前から整体に通い始めました。
特にどこが痛いという訳ではありませんでしたが、
テニスは体の使い方としてはバランスが悪いので、
週に1回身体のバランスを整えるために通っていました。

テニスをやめてからも、日常の姿勢の癖を整えるために通い続けています。
普段から「睡眠」と「自律神経」にはこだわりのある私なので、
睡眠の質はかなり良いと思いますが、
整体を受けた日は更に睡眠の質が良くなります。

この先生、76歳で髪の毛ふさふさで白髪は探さないとわからないくらい。
私と並んだら先生の方が若く見られるだろうと思います。

私はこの間も時々指のことも言っていましたが、
整形外科に通っている間はその先生は何も言いませんでした。

整形通いが終わり、「へバーデン結節」との診断が出たこと、
特に治療法も無くて、今は「とにかく痛い」ことを先生に改めて訴えました。

すると先生は「お医者さんは何でもへバーデン結節にしてしまうね」と
ぼそりと言って、指をみてくれました。

その治療院の正式名称は「接骨院」ですが、
若い頃に東京で様々な治療法の知識と訓練を受けてきた方のようです。

壁には、筋肉、骨、神経、など、いくつもの人体図が貼ってあります。
時々私が質問すると、その図を基に説明してくれます。
足先を触って「首の右側に痛みがある」とか、わかってしまいます。

身体の生き字引のような先生だといつも思っています。

その先生が指を施術してくれました。
そしてテーピングをしてくれました。
固定のためのテーピングではなく、動きをよくするためのものです。
自分でできるようにテーピングの仕方も教えてくれました。

テーピングや指のマッサージなどを自分でもしながら、
毎週整体の時に指の治療をしてもらい、一か月が経ちました。
今、痛みはかなり軽減しています。

以前の痛みが10だとしたら、今は3くらいです。
完全に元通りにはならないとわかっています。
3が限界だろうと自分の中で感じています。

それでも、日常生活の質がかなり改善しました。

今は何もしなければ痛みはありません。
使うと痛みは少しあります。

実はこの半年間、私は指が痛くてお箸が使えませんでした。
食事はナイフとフォークならぬフォークとスプーンでしていました。
調理も、ヘラやトングを使って何とかしていました。
トングさえ持つと痛いので、左手で使っていました。

でも今は、お箸が使えるようになりました。
とは言っても完全に不自由なく使えるわけではないので
食事の時にはお箸とフォークとスプーンが食卓に並びます。
それでもお箸が使えるのと使えないのとでは大きな違いがあります。

キーボードも遠慮がちにではありますが、打てるようになりました。
ハサミも、少し難はありますが使えるようになりました。

普通のことが普通にできるって、なんてありがたいことでしょう。
私の自然治癒力を引き出してくれた整体の先生に感謝です。

ここで言いたいことは、
「西洋医学がダメで、東洋医学が勝る」ということではありません。

基本的に私は東洋医療の方が好きで、
薬も極力飲みたくありません。
(抗生剤のアレルギーもありますし。)

でも、時には薬によって助けられることもあります。

西洋医療にも東洋医療にも、それぞれの役割があるように思います。

整体の先生も、レントゲン検査の結果を聞いて、
そこから改めて施術をしてくれました。

大切なことは、どちらも「妄信しない」ということだと思います。
「医師の言うことが絶対正しい」ということもないし、
「東洋医療に携わる人の見解が常に正しい」訳でもないと思います。

その判断や見極めは難しいけれど、
その時に大事なのは自分の軸や感覚なのだろうと私は思います。

自分で調べられることを調べ、できるだけ正しい情報と繋がる努力をする。
その上で、具体的に自分でできる努力はする。

東洋西洋問わず専門家の意見にじっくりと耳を傾け、
そこに自分自身の納得感がどの程度あるか。

自分の感覚はそれにどう反応しているか。
スッキリする感覚があるか。
ザワザワやモヤモヤ、ムカムカ、詰まる感じ、など、どうか。

それらを総合して、最後は自分で決める。

そのプロセスをたどれば、
もしも結果が残念なものになったとしても、
自分で納得して受け入れられる気がします。

この先自分の身に起きるかもしれない
どんな病気にも障害にも
私はこうして対処していきたいと思っています。

現代の機械やAIの優秀さに脱帽もするけれど、
たぶんAIでも及ばないことが、
まだまだ人間の叡智には存在することを感じます。

個人としては、努力の余地があるところは努力をし、
その結果の限界の前ではそれを受け入れる。
そうすれば、自分自身で納得感を得られて生きていけるように思います。