無自覚な「困った人」になっていないか?
掲載日:2023.11.21
この2週間、個人的なイベントがいくつも重なり、
少々疲れ気味です。
その中の一つが、全日空時代の同期会でした。
幹事として、半年以上前に日時を決めてみんなに連絡をしていました。
人工透析を受けている人だけ出欠の返事が来ずに心配していました。
LINEで繋がっていなかったので、
この間、メールや家電や携帯にメッセージを入れました。
他の同期からも連絡をしてもらったりしました。
それでも返事が来なくてとても心配しました。
開催1か月前になり、「心配している」旨をしたため往復はがきで改めて連絡を取りました。
彼女に何かあったとしても、家族から返事が来ると思ったからです。
そうしたら本人から「心配かけでごめんなさい」と「参加する」旨の返事が届きました。
この半年間連絡がなくてずっと心配していたので、
何があったかはわからないけれど、
もしも体調が悪くて出欠が決められなかったとしても
「ひと言返事をくれたらよかったのに」と、
「無事だ」と安心したとたんに少し腹がたちました。
昔から自分に注目してほしい人ではあったので、
身体が思うようにならなくなって、
体調の悪さで注目してほしかったのか、などと思ったりもしました。
こういうのって、毒親さんもよく使う手口です。
力でのコントロールが効かなくなると
体調不良や病気や高齢を理由に「弱っている自分」アピールをして
娘を心配させてコントロールしようとします。
彼女のことをそんなふうに結びつけるのは良くないと思いつつ、
何となくそんな臭いを感じてしまいました。
同期会当日の彼女は、透析患者なりの脆弱さを漂わせながらも、
心配している私からのメッセージに返事ができない状態ではなかったことがわかります。
そんなふうにプチ腹立ちを抱えながらも、
昔の仲間に会えることを楽しみにしていましたが、
全日空時代に一番の仲良しで今回会えることを楽しみにしていた人が
直前になって来られなくなりました。
娘さんが髄膜炎になり緊急入院したということでした。
その後知りましたが、言語障害となり車椅子を使用するようになったそうです。
彼女が参加できなくなったことと、
娘さんがそのようになった彼女の胸中を思い、
気持ちが少し沈みながらの同期会幹事でした。
5年ぶりに会った同期は、順調に年を重ねていました。
同い年なので、顔や体のたるみは多少の個人差はあっても似たようなものでした。
ただ、私がショックだったのは、同期の数名が
「人の話を聞かないお婆さん」になっていたことでした。
「人への配慮ができず、自分の言いたいことを喋りまくる人」数名に
その場が乗っ取られるような場面が何度もあり、
幹事として交通整理が大変でした。
あんなに優秀だった人がこんなふうになってしまった。
私としてはけっこうショックな状況でした。
当日翌日くらいまではそのような同期の姿にショックを受けていましたが、
その後から「私はどうなんだ?」と矢印が自分に向きました。
私も自分で気がついていないだけで、
「人への配慮がなく、自分の話したいことばかりしゃべっているお婆さん」に
なっているのではないか。
そう思うと、またここで少し凹みました。
年寄りに限らず、無自覚に他人に迷惑をまき散らしている人っていますよね。
「悪い人ではないんだけど」とか「悪気は無いんだけど」という言われ方をすることがよくあります。
みんなその後の言葉は飲み込むけれど、実際には
「とても迷惑している」とか「困っている」というものです。
わかっていてやっているなら自分でやめることができますが、
無自覚にしていると自分で気がつかないので「迷惑の垂れ流し」になります。
もしかすると私もそうなっているのではないかしら?
周りの人はあえて注意をしてくれないけれど、
「困った人だ」と思われてはいないだろうか。
「どう思われるか」というより、「迷惑をまき散らしている」としたらイヤです。
娘が東京へ行く前に少しの間一緒に暮らしていた時に、
「お母さんって人の話を聞く仕事をしているのに、
スイッチオフにした途端、人の話を聞かなくなるよね」と言われたことがあります。
自分では気づいていませんでしたが、
どうやら娘が話している時にそれにかぶせて自分の話をしてしまったようです。
このエピソードからもわかるように、
私は「人の話を聞かないお婆さん」になる(なっている?)可能性が十分あります。
そう思うとかなりショックで、三日くらい無口な私になりました。
でも元来おしゃべりな私なので、無口は続きません。
これからは、話す時に「自分ばかりしゃべっていないか」に気をつけようと思っています。
が、すぐに忘れてしまうかもしれません。
トイレに貼り紙でもして、毎日自分を戒めようかしら。