沖縄を想う
掲載日:2024.06.04
6月23日は何の日かわかりますか?
「沖縄慰霊の日」です。
太平洋戦争での沖縄戦が終結したとされる日であり、
沖縄戦での戦没者を追悼する日とされています。
今年は終戦から79年になるそうです。
このコラムのアップは6月4日です。
79年前の今ごろ、沖縄では多くの人たちが悲惨な戦争に巻き込まれていたことを、
せめてこの6月の間だけでも思いを至らせてみませんか。
日本で唯一、アメリカ軍が上陸して住民たちが戦争に巻き込まれたのが沖縄です。
「沖縄戦」と言うけれど、別に沖縄の人たちが戦争をしたかったわけではありません。
「本土」を守るために沖縄がその盾とされただけです。
私も特に詳しいわけではありません。
でも、本土上陸を遅らせる時間稼ぎの作戦として、
同じ日本でありながら沖縄だけが「鉄の暴風」と呼ばれる凄まじい戦いに巻き込まれ、
住民の4人に1人が亡くなったということに、
そして命を失わないまでも多くの人たちが深く傷ついたということに、
ただただ胸が痛み、本土の人間として申し訳なさを感じます。
その後、沖縄は戦後27年間アメリカ軍に占領統治されていました。
そして1972年に日本に復帰した後も、
沖縄は常に本土とは違う扱いを受けてきたように思います。
普段沖縄に関心がない人でも、
沖縄の問題と言えば、米軍基地やオスプレイ、辺野古などが浮かぶかもしれません。
基地問題に限って言えば、
日本の国土面積の1割にも満たないたった0,6%の沖縄県に、
米軍専用施設面積の7割が置かれていることをご存知ですか?
過酷な戦闘に巻き込まれ、
戦後もアメリカ統治や過重な基地負担があり、
米軍による事故や事件の多くの被害はほとんど本土で報道されることもなく、
そして今また辺野古の新基地建設が進められています。
新基地建設のために辺野古の海を埋め立てることに対して、
沖縄では2019年に県民投票が行われました。
その結果、7割の人が埋め立てについて反対票を投じたそうです。
多くの沖縄の人たちが「辺野古を埋め立てて基地を作らないで欲しい」と
意思表示をしたにもかかわらず、
日本政府はそれを無視して辺野古の海は今も粛々と埋め立てられています。
当事者が「イヤだ」「やめてほしい」と言っているのに、
それを無視して力のある者がやりたいようにやるのは暴力ではありませんか。
ウクライナやガザ地区の人たちのように
武力で命を奪われることにはなっていなくても、
沖縄の人たちの気持ちを無視して
権力者がやりたいようにやるのは、
命が奪われるかそうでないかの違いでしかない暴力だと思います。
私のクライアントさんたちの多くが
「身体的暴力は受けていないから虐待を受けたわけではない」
と言いながらとても深い心の傷を負っているのと同じことが
沖縄の人たちに起きていると私は思います。
そしてその加害者は、
沖縄の人たちの現状に気づこうともしない、
気づいていても「自分たちには関係ない」と黙認している
私たち沖縄以外の人間です。
私は沖縄に縁もゆかりもない人間ですが、
自分がもし沖縄の人だったら、
自分たちが大切にしている海を問答無用で踏みにじられ、
それに対して本土の人たちはほとんど無関心だとしたら、
やりきれない気持ちになることでしょう。
辺野古の埋め立てに使われる土砂に沖縄南部の土も使うと計画されています。
沖縄本島南部は、米軍に追い詰められて逃げ場がなくなり、多くの犠牲者が出た場所です。
沖縄戦の戦没者の遺骨はまだ多くが南部の土の中に眠っています。
遺骨を含む土砂を基地建設の埋め立て工事に使うという計画を立てたこと自体、
人としてよくそんなことができるものだと私は憤りを覚えます。
沖縄の人たちの心をどれほど傷つけていることでしょう。
その他ものすごくたくさんのことで、
私たちは気づかないうちに沖縄の人たちの心を傷つけています。
どれか一つでも、私たちが沖縄の人たちに強いていることを知ってほしいです。
知る努力をしてほしいです。
例えば、自分が住んでいる住宅の上空を、
子どもたちが学び遊んでいる学校の上空を、
常に米軍機が飛び爆音にさらされ続けている日常を、
あなただったら受け入れられますか?
そんなことは「沖縄だから仕方がない」のでしょうか?
単純に、どうして「本土ではしてほしくないことを、沖縄ならやっていい」のでしょうか?
同じ日本人として、「自分の身にそれが起きたら」と考えてみませんか。
今の沖縄の人たちの立場にほんの少しでも立ってみませんか。
何もできないけれど、でも
「あなたは一人じゃないよ」「辛さを一緒に受け止めたいよ」
辛い時にそんな言葉が欲しかった
そんなふうに寄り添ってもらいたかった私たちは、
沖縄の人たちに対してもそんなふうでありたいと思いませんか。
そして沖縄の現状をもっと多くの人たちが知っていくことで、
いつか「それってひどいんじゃないですか」という声が大きくなっていった時に、
何かが変わるのではないかと思います。
私はそれを願って、そのための小さな一歩として
ここに沖縄への想いを書きました。