本を書きました

掲載日:2017.10.31


プロフィールにも書いてありますが、私は現役母子家庭で奨学金を受けて40歳で福祉系の大学を卒業しました。
大学を卒業した後、母校で年に一回特別講義をさせていただいていました。
10年ほど続けたでしょうか。
「母子家庭の生活課題と福祉施策」というようなテーマだったと思います。

その授業は、今は東京の大学の教授になっている恩師の林浩康先生が
「当事者の声を聞く」ことを通して「本当の課題を理解する」ことを趣旨としていたと思います。
私は自分の母子家庭体験を話しながら、福祉施策が実際にはどのようになっているのかをわかりやすく話しました。
大抵は、いかに母子家庭が使いづらい制度が多いか、そしてどんな制度であれば
母子家庭に限らずひとり親家庭が頑張ることを応援することができるかを具体的に話しました。

毎年、講義が始まる前は学生たちが騒いでいることが多いのですが、私はかまわず話し始めます。
するとだんだん私語はなくなり、学生たちの目がこちらに向き始めます。

ほぼ毎年のように、講義の後で何人もの学生たちが私のところに来て感想を伝えてくれました。
「母子家庭の置かれている現状がとてもよくわかりました」というものから
「生れてはじめて90分間寝ないで講義を聞きました」というものまで、
講義のあとでわざわざ講師の元に来てくれる学生さんたちですから、
とてもキラキラした目をして感想を伝えてくれました。

そんな中で、これもほぼ毎年のように、「ものすごく面白かったです!」
「本を書いてください」「絶対買います!」というコメントをいただきました。

そんな学生さんたちの真っ直ぐな言葉が、私の頭のどこかに残っていました。

現代では、お金があれば自費出版というやり方で本を出すことはできます。
でも、そのような場合には何百万というお金を自分で用意しなければならないようです。
そこまでして「本を出そう」という気持ちには、なかなかなれませんでした。

去年、ご縁があって「本を書いてみませんか」というお声がかかりました。
電子書籍という出版方法で、編集や電子書籍化などの作業費込みで100万円以下でできるということでした。
このような機会でもなければ、私のような無名の人間が本を出版することなどないだろうと思いました。
その会社と契約しました。

去年の秋から書き始めたのですが、冬近くから私の編集担当の方に異変が起こりました。
年末には、会社から「彼が病気のため休職するので代わりの者がこの後は担当する」という連絡がきました。
彼の復帰のめどはたたず、退職することが濃厚とのことでした。
その会社から本を出すと決める前に、東京に行き編集担当の彼と直接会い、
「この人なら」と私の心が決まった人です。

どのような内容にしていくかを、全くのゼロのところから彼と話し合いながらやってきました。
2カ月ほどとは言え、彼と二人三脚でやってきたと実感している私としては、
「病気でできなくなったので、別な人に」と簡単には割り切れない気持ちでした。

まだお子さんが小学生の彼がどんな重病なのかととても心配しました。
でも、どうやらメンタル面で仕事を続けられなくなったということが徐々にわかってきました。
体の病気でないのなら、メンタルは私が支えることはできるのではないかと思いました。

彼に「もしも負担にならなければ、私の本はあなたと一緒に出版したい」と伝えてみました。
彼は「浜田さんの本の執筆をサポートさせてもらうことは、自分の励みになっています。
できれば続けたい」と言ってくれました。
相思相愛(?)が、確認できました。

会社に「私の本は、彼のサポートを得て出版したい」旨を伝えました。
そのまま会社の言う通りにしていれば、PRをしてもらったりなどメリットは確実にありました。
私と同時期にスタートした10人ほどの執筆者は、みなさん会社の決めたことに従いました。
唯一私だけが、会社の方針に素直に従いませんでした。

「本を出す」ということはもちろん大事なことでしたが、私にとってはその「プロセス」も大事なことでした。
会社側も私の気持ちが強いことを(しぶしぶ)理解してくれ、
結局その会社とは契約を解除して、彼と個人契約ということで私は本を書いていくことにしました。

そのようなわけで、彼のメンタルの回復など少しずつ時間をかけて私は執筆を進めていきました。
途中で、私自身が別な論文を書くためや母の容態の急変などで何度か筆を休めざるを得ないこともありました。
お互いに、先を急ぐことなく、尊重し合いながら、
時々スカイプで彼からフィードバックを受けながら、私は執筆を進めてきました。

私の知り合いで、けっこう売れっ子の著者がいます。
先日その人と話したときには、編集者にせかされたり、
内容を「売れる」ように変更を余儀なくされたりと、かなりストレスを感じているようでした。

売れっ子でもなく、幸か不幸か個人契約の私には、そのようなストレスもなく
自分の書きたいことを曲げたり妥協したりせずに書き続けることができました。

そのような経緯で、途中何か月か休んだりしながら、結局去年書き始めてから1年近くかかって
やっと先日、私は初めての本を書き上げました。

これから、最終的なタイトルを決め、表紙などこまごましたことを決めていくことになります。

ここまで経緯についてばかり書いて、本の内容については触れていませんでしたね。
基本的には、不安と迷いの中で離婚を決意したところからの私のシングルマザー30年の歩みです。
思い返すと、私ってホントに何にもできない自信のない人間だったんだなとわかりました。
そんな私が1歳5ヶ月の娘を抱え、不安の中からスタートした母子家庭生活を書きました。
その経緯を書く中で、読んでくれた人に役立つように、納得する人生を生きるヒントを書き込んでいるつもりです。

名もなき私が書いた「自分史」なんて、せいぜいでこのコラムを読んでくれている人くらいしか
「読んでみようかな」と思う人はいないと思います。
「本を書いてください」「絶対に買います」と言ってくれたあの頃の学生さんたちに届く可能性は
1%もないと思います。
でも、私の中では、心の中にあった「一つの宿題」を果たしたという気持ちです。

ちなみに、編集担当の彼はすっかり元気になりました。
自分の才能を存分に発揮できる個人事業主となり(実は彼はすごい才能の持ち主なのです)、
彼が開発した営業や研修の仕事の依頼も増えてきています。
そんな彼は、私に欠けている「売れるように」という部分でもアドバイスをくれます。

「書いた」ことで満足してしまって「買ってもらう」ことにはあまり気持ちが向かない私に、彼は言います。
「美味しいソフトクリームを食べたい人が、美味しい店がこの辺にあると聞いて来たのに、
看板が出ていなくて食べられなくて帰る」というのは、お客さんに対して不親切である。
「浜田さんが作った美味しいソフトクリームを食べたい人にちゃんと届けられるようにするのが親切です」と教えてくれました。
「欲しい」とか「必要」としている人に、ちゃんと届くようにしてあげるのが「買ってもらう工夫」なのだと。

自分の書きたいことを曲げたり妥協したりということではなく、
目次の書き方を工夫することなどが、「必要な人に届けられる」工夫なのだと、今教えられています。
「本を書く」というチャレンジをしたからこそ、自分の中で発揮できていなかった何かが刺激されて、面白いです。

校正や電子書籍化などこの後の作業もすべて個別に依頼して進めるので、たぶん出版は12月末頃になるでしょうか?
もっと遅くなるかも・・・?

こんな私の書いたものに好奇心や興味があるという奇特な人は、もう少しお待ちください。
詳しいことは、最終的に出来上がってから、またお知らせします。