最近のクライアントさんたちのこと

掲載日:2024.07.02


最近のクライアントさんたちの変化や新しいクライアントさんとのご縁など、
嬉しいことがたくさんあって誰かに聞いてもらいたくて、
ご本人たちの了承をいただいて少し書いてみますね。

5月下旬から新しくセッションが始まったYさんは、
私史上最高齢(と言っても私よりは少し年下)の方です。

お母さんはすでに亡くなっていますが、
それでも長年傷つけられ苦しめられてきたことは
深く傷となって残っています。

「亡くなってもなお、束縛されているようで苦しい」
「この恨みの気持ちから解放されたい」

そんな思いに苦しんでネットであれこれ探して、
私を見つけて「この人だ」と直感したそうです。
「私、インスピレーションはいいんです」とYさんは笑います。

そこからスタートしたYさんは、
傷は確かに抱えているのですが、チャーミングで気持ちがとっても可愛らしい人です。

「早くスッキリしたい」と最初から毎週セッションを受けています。
その意気込みと彼女の気持ちの柔軟さが相まって、
「セッションの度に母への気持ちがどんどん手放せています」
と日増しに顔が晴れやかになっていきます。

普通は半年か1年くらい経って私のセッションに慣れた頃にトライしてもらうことも、
「Yさんならできるかも」と感じて提案してみたら軽々とできてしまい、
長年彼女を縛っていた母親の(呪いの?)言葉も手放してしまい、
そのみごとさに私の方が驚いてしまいます。

「この年齢からでは無理でしょうか?」と時々聞かれることがありますが、
いくつになっても親から与えられたネガティブな言葉や感情は残りますし、
またそれを解放していくこともいくつからスタートしても可能であることを、
今Yさんは軽やかに証明してくれています。

セッションを始めて1年が経ったSさんは、長い黒髪の美しい人です。
(余談ですが、私のクライアントさんは美人が多いなと感じています。
「類は友を呼ぶ」でしょうか?(笑))

日本人形のように美しい人ではありましたが、
最初は感情があまり伝わってこない人でした。
セラピストとしては「手ごわい人」と感じられました。

そんなSさんは最初、自分の苦しみの原因が母親だとは思っていませんでした。
むしろ「お母さん大好き」と言う人で、「これは重症だ」と感じました。

ぴったりと母親とくっついているような、
母親の意見や気持ちが自分のものと感じている人でした。

その自覚が無く母親との境界線が全く無いSさんに、
健全な親子関係には適切な境界線が必要だということを
本当の意味で理解してもらうのに半年くらいかかった気がします。

それでもSさんはあきらめず投げ出さず
ほぼ毎週セッションを受け続けてくれました。

そして半年くらいたったころから、私から見ると
目からウロコがポロポロと取れていくという感じで、
母親と自分との関係に気づいていきました。

そのあたりからどんどん気づきが始まり、
癒しも毎回深まっていきました。

そして先月、Sさんにとてもパワフルなことが起きました。
私の言葉で言うと「エッジを越えた」体験でした。

私の意味する「エッジ」とは、「これが私」と認識している範囲の一番端っこのことです。
普段意識することは無くても誰であっても、
ぼんやりと「私はこういう人間」という認識は持っています。

私たちは普段その自己認識の範囲の中で
考えたり決断したり選択したりしています。

でも本当は私たちって可能性にあふれた存在なんだと私は思っています。
そんな思いでセッションをしていると
ある時その「自分」というエッジを越えてしまう人が現れます。

じわじわと超えていき、気づいたら「超えていた」となる人。
瞬間的に「スポーン」と超える人。
越え方は人によって様々です。

Sさんがエッジを越えた瞬間に私がノートにメモしたSさんの言葉です。

≫なんて言ったらいいか難しいけど、新しい体験をしている感じ。
≫今まで自分のことを日本人だと思っていたのに、「アメリカ人だった」みたいな。
≫頭は混乱しているけれど、満足、嬉しい感覚。
≫本当はそういう人だとしたら、今まで狭い道一つしかなかったのが広がった感じ。
≫思ってもみなかったところに行ってもいいかも…。

Sさんの言葉は、「エッジを越えた」感覚をよく表していると思います。

もう一人、Mさんも先月エッジを越えたと私が感じた人です。
(私のクライアントさんにはイニシャルMさんが多いですが、初登場のMさんです。)
その時のMさんの言葉です。

≫これまでずっと「寂しさ」を感じていた。
≫その寂しさを避けるためにいろいろなことをしてきたけど結局うまくいかなかった。
≫今は、鍾乳洞というか暗くて深い湖に浸かっているイメージ
≫おびえないで潜ってみると案外温かい
≫そこにいると落ち着く
≫ずっと感じていた「寂しさ」は確かにあって、常に自分にあるもの
≫これはここにあっていいものと感じる。
≫私は思った以上に「大丈夫」と思える。

そして翌週には、
≫自分の中に眠っていた情熱に気がついた。
≫「私は情熱的に生きたかったんだ」

表現方法も感じ方も人それぞれ違いますが、
Mさんの場合は、それまでどうしても受け入れられなかった感情や状況や自分自身を
否定せずあるがままに穏やかに受け入れられるようになったということです。

こうして書いていくと、
エッジを越えたクライアントさんは素晴らしい世界に行って
「もう何も憂いはない」と思われそうですが、
ここが面白いところで、
なじみがないので元のエッジの枠内に戻ってきたり
でもエッジを越えた感覚も知っているので以前と同じではなく、
両方を行ったり来たりしながらだんだんにエッジを超えた自分に馴染んでいく、
そんな状況になります。

そして「エッジを越える」ことは決して必須ではありません。
多くのクライアントさんたちは、これまでの傷を癒し、
親との境界線をしっかりと築け、親の負の影響に振り回されなくなります。
そこで終了で十分だと思います。

私の体験上、エッジを越えるクライアントさんは10人に1人くらいです。
いつ誰が越えるかは私にもわかりません。
それが先月は二人も現れたということに私自身が驚いています。

先月はその他にも懐かしい人たちがセッションを受けてくれました。

母親とキッパリと境界線を引けるようになって1年前に終了したNさんは、
娘さんとの関係が以前にも増して良くなり、
娘さんも毎日明るく元気に学校生活を楽しんでいて、
それだけで十分に幸せだと報告してくれました。

そして今度は「仕事のことでコーチングを受けたい」とセッション依頼をされました。
私の関わり方はセラピーでもコーチングでも基本は同じですが、
どちらに軸足を置くかで多少違いが出てくると思います。

才能豊かなNさんが、どんな可能性に開いていくのか楽しみです。

あとは、5年くらい前に一旦終了したMさんが
3か月に一度くらいセッションを受けてくれるのも
私としては嬉しい時間です。

クライアントさんたちがそれまで囚われていた苦しみから解放され、
ご自身の感覚や嗜好、価値観で生きていけるようになること、
自分自身の存在を肯定しながら生きていけること、
そんなお手伝いができることに私は大きな喜びを感じています。