年末年始に

掲載日:2023.01.03


あけましておめでとうございます。

どのような年末年始を過ごされましたか?
私は望んだ通り、読書三昧で好きな時に好きなことをして過ごしました。

大晦日は寝る前に「明日の朝、6時頃に目が覚めて初詣に行ければいいな」と思いました。

すると、元旦、5時55分に目が覚めました。
朝のおつとめをし、猫たちの世話を終えて、
薄明りの中、初詣に行きました。
駐車場も余裕で止めることができ、静寂の中での初詣でした。
幸先の良いスタートと感じました。

年末の休みに入ってすぐに、例の「私が惹かれる二人」の対談本を読み始めました。
実は「対談」は少なく「往復書簡」といった部分が多かったのですが、
それがまた非常に良かったです。

普段仕事関係の本を読む時とは全く違った読書体験ができました。

仕事関係の本を読む時には、新しい知識や考え方などを「インストールする」
あるいは「これはすでに私の中にある」と峻別するような「作業」に近い気がします。

しかし今回の読書は、著者二人と「対話」をしているような体験でした。
これは非常に豊かな経験でした。

私がなぜ異分野のこの二人に惹かれたのかもわかりました。
私が他の人たちと共有することが難しいと感じていたことを
彼らとは共有できていると感じました。

この社会のおそらく95%の人たちが疑いもなく肯定しているいくつかの事柄に対して
私は言葉にすることができない違和感を覚えていました。
孤独に違和感を抱え続けていました。

また、社会に踏みつけられている市井のある個人に対して、
私はその魂の美しさに圧倒される思いを抱いていました。
でも他の人たちは、そうは感じていないようでした。

社会の中にある「真理とのズレ」とでもいうようなことを、
誰とも分かち合えないと感じていた「違和感」を、
「喜び」を、「悲しみ」を、「憤り」を、「感動」を、
その本の中で私は彼らと共有することができました。

更には、彼らの言葉や視座に触発されて、
私の内側にまた新たな何かが生じてくることも感じました。

豊かな「対話」の時間でした。

この人生で直接出会うことは叶わないだろうけれど、
この地球上に、この日本に、数十人か数百人かは
きっと存在しているであろうと思っていた「同志」。
私と同じように、微妙なことを感じ取りながら生きている人たち。

そのような「同志」の存在を、本を通してではあっても知ることができ、
私は心から嬉しく、また勇気づけられました。

いみじくも「あとがき」でA氏が書いていました。

A氏が初めてB氏の著書を読んだ時、
「私は地の底から湧き上がるような喜びに満たされました」
「ようやく追い求めてきた同志に出会った喜びに震えたのです」
「同時代に同じことを考えている人がいるという喜びは、
大きな安堵感となって私を包み込みました」
「私は本当に(中略)孤独から解放されました」

このA氏の言葉をそっくりそのまま、
私は今回のこのA氏とB氏との対談本に抱きました。

年齢的には一回り以上年下の彼らに敬愛の念を強く抱きます。
(本を通してではあっても)彼らと出会えた喜びは大きいのです。
彼らと対話ができたことは、私自身を深める体験となりました。

そして、私はこの年末に、もう一つ大きなことを体験しました。
この本に取り組む数日前に、実は私の身に不思議なことが起きました。

そのことを書くと長くなりすぎるので、
まだ書く気が残っていれば、次回のコラムで書いてみようと思います。
自分の中に静かにとどめておきたいと感じたら、書かないかもしれません。

なにはともあれ、年末年始を一人で過ごしたからこそ得られた
私にとっての二つの貴重な体験でした。

付け足しのようになりますが、
年末年始の過ごし方に改めて思いを巡らせてみると、
まだまだ自由に過ごせていない人が多いように感じます。

「年末年始は家族や友人と過ごすことが良い」という
古い思い込みに縛られている人たちがまだ多いことを感じます。

家族や友人たちと過ごして「良い時間」になる人はそれを十分に楽しめばいいでしょう。
家族や友人たちと一緒だと「苦痛を感じる」人はムリに一緒にいなくていいでしょう。

苦痛がある無しに関係なく、
自分なりの満足する過ごし方をしたい人はそうすればいいでしょう。

そういう意味でも、今年は他人や社会(メディアの影響も大きいですよね)が
個人に対して「こうあるべき」「こうであってはいけない」「これが普通」と
暗黙に強いることが少しでも減るといいと思います。

そして、個人の側も、社会から押し付けられる「べき」や「普通」を
無意識に無自覚に取り入れて自分に強いて苦しんでいることにも気がついて、
そこから自由になれたらいいなと思っています。

他人の命や人権を侵害しない限り、
生き方も価値観も在り方も、その人が望むことが尊重される社会になるといいですね。
それぞれが本当に望むことに安心していられる社会になったらいいなと思います。

そんな社会が開けていく年になってほしいと願っています。