北海道地震の体験

掲載日:2018.09.18


9月6日、ぐっすり眠っていた午前3時に突然、物凄い揺れに襲われました。
「家が崩れるかもしれない」と、体全体で恐怖を感じました。
「いつまで続くのか」「どこまで激しくなるのか」、揺れている間中、恐怖の中にいました。

揺れがおさまってテレビをつけようとしたら、つきませんでした。
家の中には、小さな光さえありませんでした。
「停電?」と思ってカーテンをあけて見ると、街灯も消え、外は暗闇に包まれていました。
空を見上げると、ものすごく美しい星空が広がっていました。

こんなに恐ろしい自然と、こんなに美しい宇宙・・・。
「今私は、この二つを同時に体験している」と、不思議な感覚でしばらく呆然としていました。

娘が私の部屋に来てくれたのか、私が娘の部屋に行ったのか覚えていません。
その後1階に降りて二人でリビングで何を話したのかも、よく覚えていません。
覚えているのは、猫たちがしばらくの間姿を現さなかったことだけです。
暗闇の中で懐中電灯をともし、続く余震の中で身をすくませて過ごしました。

夜が明けて、交通網がすべてストップする中、娘は札幌から来る上司の車にピックアップされて仕事に行きました。
停電のため信号機も機能しておらず、恐ろしい思いをしながら千歳空港までたどり着いたそうです。
そんな思いで行ったのに、結局、千歳空港は全面閉鎖のため、昼過ぎには帰ってきました。

停電になっているので何もできることがなく、
午前3時からたたき起こされたわけですから「まずは眠ろう」と思うのですが、
眠いはずなのに頭の芯はさえて、おまけに大きな余震が何度も来るので眠ることもままなりませんでした。

夕方まで待っても停電が解消されなかったので、電話もスカイプもできないと判断し、
翌日にセッションの予約が入っていた人たちにショートメールで「当面見合わせ」の連絡をとりました。
停電のせいだけではなく、私自身も他人のセッションを行えるような状況ではなかったことが徐々にわかってきました。

気づけば食欲もなく体全体に違和感があり、起きていられなくてなぜか涙がこぼれます。
「ああ、私、ダメージを受けているんだ」と気づきました。
心も体もとても辛い状態でベッドに横になっていました。

頭では、「亡くなった人や家が損壊した人たちがいて、我が家は物が倒れたり食器が壊れたくらいで、
今は停電だけどその程度のことで何を言っているの」という声がします。
それはわかっているけれど、「でもやっぱり私は辛い」と感じました。

きっと災害に見舞われた人たちはこんな思いをしてきたのでしょうね。
自分もダメージを受けるような体験をしたのに、「他の人たちはもっとつらい思いをしているんだから、
この程度のことで辛いなんて思っちゃいけないんだ」と。

でもね、震度5強~6弱の揺れの中で心と体がダメージを受けたことは、まぎれもなく私の真実です。
それは、人と比較して「無かったこと」にはできないし、してはいけないことだと思いました。

私は自分が弱っていることを認めようと思いました。
だから、誰かを安心させるために「大丈夫」のふりをすることもやめようと思いました。

心配してくれる本州の友人たちに、「家は無事で大きな被害はない」ことを伝えると同時に、
「気持ちはダメージを受けている」ことも伝えました。
心配をかけてしまったかもしれませんが、「私は大丈夫!」と伝えるほどの元気はありませんでした。
そして、そう伝えても大丈夫だという信頼関係にある友人たちがいてくれることに感謝しました。

また、北海道内の人たちには、私が「ダメージを受けている」と表明することで、
同じような状態の人には「自分もそうだ」と気づいて無理をしてほしくないとも思いました。

同時に、強い余震が続く中、恐ろしさと不安に押しつぶされそうになりながらも、「今回は北海道でよかった」とも思いました。
いつも災害が起きるたびに、「同じ地域にばかり集中しないで、日本各地で起きてほしい」
「辛く苦しい思いを、日本中で分かち合いたい」と思っていました。

そして今回は実際に自分の地域で起きて体験して(この程度の体験で申し訳ない気持ちはあるけれど)、
関西や東北や九州や新潟の人たちなどが重ねてこのような体験をせずにすんで良かったと思いました。
今年の台風や豪雨の被害に遭われた地域に、更に追い打ちをかけるようなことがなくてよかった。
「今回は北海道で受け持たせてもらってよかった」と思いました。
(亡くなられた方のお身内や大きく被災した方たちには、こんな言い方をして本当に申し訳ありません。)

今回の北海道胆振東部地震で亡くなった方は41人とのことです。
ご遺族や、家などが被災した方たちの気持ちを思うと、胸が痛みます。
地盤沈下のために道路や家が傾いた札幌の清田区は我が家から車で行ける距離なので、
他人事とは思えず、ことさら胸が痛いです。

倒壊や停電の影響で、酪農業や工業などあらゆる産業に支障が出て、
影響はいつもその恩恵を無意識に受けている私たちにも及びました。
地震から1週間経っても、スーパーやコンビニにいつものようには食料品は並んでいませんでした。
被災すると、こうしてみんなが、物や心や体に何らかのダメージを受けるのだということを実感しました。

「北海道全域が停電」という事態にも、もちろん不便や不安はありましたが、
貧富や立場の差もなく北海道の全員で引き受けられたことはこれでよかったんだと思えました。

日本のどこかで今回の苦難を引き受けなければならなかったのだとしたら、
十分すぎるほど被害や困難を被った人たちに更なる苦難を強いることになるよりは、
自分の住む北海道で起きて、ほんの少しでも被災という体験を引き受けられたことを感謝します。

私自身は、「自分がダメージを受けている」ことを認め受け止めて過ごしたためか、
思ったよりも早く心のダメージからは回復しました。
ダメージに気づかず自分に無理をして過ごす方が、後からしんどくなるのだと思いました。

10日経ち、そろそろ余震からも解放されて普通の生活に戻りたいと思っていた昨日、
午前2時51分にまた震度4の揺れが来て不安の中に放り込まれました。
「ああ、まだ続くのか」と思うと、気持ちは落ち気味になります。

こんなに不安で恐ろしい思いが続いていても、というか不安で恐ろしい思いをしているからこそ、
やはりこれをどこか別の地域に重ねて強いることがなくてよかった、と改めて思います。

東日本や熊本地震のあと、何度も震度4程度の余震が続いていることをニュースで目にして
その地域の人たちはどれほど不安で恐ろしい思いで過ごしていることかと胸を痛めていたので、
今回はその思いを北海道で自分で引き受けられてよかったと思います。

「どんな痛みも苦難もみんなで分かち合いたい」という気持ちをいつも持っていましたが、
このように自分自身が辛い時にでもその思いは揺らがなかったことに、
自分で自分に安心しました。

余震が続き、停電がいつまで続くかわからなかった不安な時間の中で、
唯一私に安心感を与えてくれたのは、二匹の猫が窓辺で寄り添って眠っている姿でした。
猫に限らず、一番弱い存在が安心していられる社会は、
誰にとっても安心な社会なんだと、そんなことをふと思ったりしました。