今、私たちにできること
掲載日:2022.03.15
子どもの頃、たぶん小学校低学年の頃、
マンガ雑誌の中にあった恐怖マンガ(楳図かずおさんの「へび女」?)を見て、
一人でトイレに行けなくなってしまいました。
小さな妹にトイレの中まで一緒に入って後ろを向いていてくれるように頼んだ記憶があります。
あまりの怖がりように母もあきれていましたが、
私にとってはどこから恐ろしい手が出てくるかわからなくて、
本気で恐くて深刻なことでした。
「オバケが恐い!」と沈痛に訴える私に母は、
「オバケより、生きている人間の方がずっと怖い」と言いました。
母の妙に冷静で、それでいて実感のこもった言葉に、
当時の私は「ぽかん?」でした。
「オバケより、生きている人間の方がずっと怖い」?
意味がわからん!
あれから何十年も経ち、母の言葉が私なりに理解できるようになってきました。
最近では精神科クリニックの放火殺人や訪問診療の医師の殺害
少し前の京都アニメーションの放火殺人などいくつもの無差別殺人の事件報道を目にすると、
本当に「生きている人間の方がずっと怖い」と思います。
「オバケよりずっと怖い、生きている人間」
今その最たるものが、ロシアのプーチン大統領だと感じます。
多くの人々の命を奪い、生活を奪い、人生をめちゃめちゃにしていくことに突き進んでいる。
私たちは、ウクライナの人たちが直面させられていることを
なすすべもなく胸を痛めながらも呆然と見ていることしかできない。
ウクライナの国旗は黄色と青。
シンプルで清々しい国旗です。
青は空を表していると言われています。
ウクライナの国花はひまわりだそうです。
ウクライナの国旗はひまわりの黄色とその上に広がる空の青を象徴している。
黄色は小麦畑を表しているとも言われています。
美しい青空と黄色に輝く小麦畑。
美しい青空と黄色に輝くひまわり畑。
どちらにしても、
そんな平和を感じさせる国旗を持つ国で平和に暮らしていた人たちの
命や生活を奪うことが、今、たった一人の男の意思で行われている。
たった一人の「オバケよりずっと怖い、生きている人間」を
世界中の誰も止めることができないでいる。
その悔しさと憤りの大きな渦の中に、私はいます。
同時に、私の中にはもう一つの思いもわずかではありますが、
感じています。
日本で起きた無差別殺人事件が報道されるたびに、
「犯人が行動を起こすずっと前から寄り添ってくれる誰かがいれば」
という残念な悔しい気持ちがいつもありました。
幸せな人は、誰かを殺したり傷つけたりしようとは思わないと思います。
無差別殺人を起こす人たちは、どこかで深く、あるいは日常的に傷つけられ、
それをいたわってくれる人に出会えなかった。
だから他人を傷つけていいとは決して思いませんが、
誰かがその痛みを受け止めてくれていたら、
怒りと暴力に変化した痛みが暴走することはなかったはず、
といつも思っていました。
その延長線上で考えると、
プーチン大統領も「優しさ」を受け取る機会が少なかった人なのではないだろうかと
思ってしまいます。
多くの人の命を奪っても、人生を破壊しても、自分の思いを遂げたいと暴力につき進めるということは、
彼は痛みを受け止めてもらった経験が非常に少ない人生ではなかったかと思ってしまいます。
今のプーチン大統領を止めるためには、世界が大きな代償を払わなくてはなりません。
今起きていることに対して、私たちは無力のように感じます。
でも、何かできないかと思った時に、
未来のプーチン大統領を生み出さないことなら
今の私たちにもできるのではないでしょうか。
人を傷つけない。
傷ついた人がいたら、見ないふりをせず、せめて寄り添う。
結局、私たちにできることは、
優しさや思いやりを持って、必要な時には勇気を持って行動すること。
プーチン大統領の暴走になすすべもない今、
せめてこれからの自分に約束したいと思います。
今まで以上に、人を傷つけないように気をつけること。
優しさや思いやりを持って、必要な時には勇気を持って行動すること。