人間の本質に抗いながら
掲載日:2022.11.22
ロシアとウクライナの戦争は、残念ながらいまだに続いています。
2月にロシアのウクライナ侵攻が始まった時、多くの人は
今の時代にこんなことが起こるなんて信じられない気持ちだったのではないでしょうか。
でも現実には、独立国がよその国に攻撃され侵略されるということが起きました。
そしてまさかそれがこんなに長引くとは思いもしませんでした。
電源設備が破壊される中、北海道と同じくらい寒くなるウクライナの冬が心配です。
侵略に当たってロシアのプーチン大統領は、
「ウクライナは元々ロシアの領土だから」と、この侵略を正当化しました。
それを聞いて私は「その通りなら、ウクライナはいつ頃ロシアの領土であって、
いつ頃どのような経緯でロシアの領土でなくなったのか」を知りたいと思いました。
ネットで調べたり世界史の本でも読めばすぐに分かったのかもしれませんが、
その時私は「最初から世界史をたどってみたい」と思いました。
そこで私は、「NHK高校講座の世界史を観てみよう」と思いました。
週に一回20分の放送時間なので時間的にも負担にならないと思い、
毎週録画予約して夜に観ることにしました。
5月頃から「NHK高校講座の世界史」を観始めました。
そうして毎週観ていましたが、8月頃に観るのをやめました。
なぜかと言うと、「世界史って、結局、戦争の歴史なんだ」ということが分かったからです。
地球上のありとあらゆるところで、人間は戦争をして領土を奪い合ってきた。
それが、イヤと言うほどわかりました。
「人間って、そういう生き物なんだ」と毎回突きつけられる感じがして、
「わかりました。もういいです」という気持ちになって、観るのをやめました。
どうやったって「戦争をしたい生き物」なんだ、人間は。
そう思うと、しばらくは「人間という生き物」に絶望感いっぱいで過ごしました。
絶望感と共にいる時間を経て、今の私は、「人間という生き物」に対して
「絶望感」と「希望」を半々に抱いています。
哲学者ホッブズは「人間の自然状態は闘争状態にある」と言っていました。
カントは「人間は放っておくと戦争をしてしまうという邪悪さをもっている」と言いました。
そのような主張をする哲学者たちも、「だから人間に絶望せよ」とは決して言っていなくて、
例えばカントは「その傾向性をうまく活かして制度設計をすれば、
戦争抑止の方法が見つかるはずだ」とその方法を提示してくれています。
カントやホッブズに限らず、
人類は「戦争をする生き物である」という本質に抗おうと様々な試みをしてきたこと、
そして今に至るまで有名無名な人々があきらめずにその努力を続けてきたことに、
私は希望を感じてもいます。
そして私も、「放っておくと戦争をしてしまう」という本質に流されるのではなく、
抗う努力を続ける側に立っていたいと改めて思います。
その前提として、「自分自身にもその本質が内包されている」
ということを認めることから始めたいと思っています。
「自分の領土だ!」と言ってウクライナを侵略して人々を殺しているプーチンも、
日本近海に何発もミサイルを発射している北朝鮮のキム・ジョンウンも、
認めがたいことではあるけれど、「自分と全く違うおかしな人」ではなく
「彼らの要素が自分の中にも流れている」と認めるところから始めてみたいと思います。
なぜなら、「戦争は自分とは違う理解不能なおかしな人がやるもの」と思って
「自分の中に潜む邪悪なもの」に気がつかないでいると、
第二次世界大戦の時の日本のようによその国を侵略しかねないと思います。
日本は、ヒトラー率いるナチスドイツやイタリアのファシスト党を率いたムッソリーニと一緒に
「三国同盟」という軍事同盟条約を締結して他国への侵略を正当化していた事実を
忘れてはいけないと思います。
第二次世界大戦中の日本は、自分に都合の良い理由をこじつけてアジアの国々を侵略し、
人々を拷問し、レイプし、生きたまま人体実験をし、
多くの人々を殺し苦しめた事実を忘れてはいけないと思います。
その頃の日本は、今のロシアや北朝鮮のように
世界から見ると「対話ができない異常な国」として見られていたのではないでしょうか。
私はいつもこの事実を忘れないようにしています。
「邪悪な道へと突き進んでいく可能性をはらんだ自分」ではあるけれど、
だからこそ、十分に気をつけながらその本質に抗いながら
他者との共生の道を意識的に選んで生きていきたいと思っています。
「言うは易く行うは難し」です。
たとえ難しい道であったとしても、
「他者との共生の道」を歩み続け努力をしている人たちの仲間として
私自身も存在していたいと願っています。