両親殺害 当時15歳の少年
掲載日:2025.02.25
2月20日のNHKニュースを記事のまま貼りつけます。
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去年2月、相模原市の自宅マンションで50代の両親を殺害したとして殺人などの罪で起訴された当時15歳の長男に対し、横浜地方裁判所は「長年の両親からの不適切な養育がなければ事件は起きなかったと考えられ、矯正教育を受けることが望ましい」などとして、家庭裁判所に送る決定をしました。
去年2月、相模原市のマンションで50代の両親を刃物で殺害したとして、高校1年生だった当時15歳の長男が警察に逮捕され、家庭裁判所から検察に送り返されたあと殺人などの罪で起訴されました。
裁判では検察が懲役10年から15年の不定期刑を求刑したのに対し、長男の弁護士は「両親から壮絶な虐待を受けていた」などとして少年法に基づく保護処分にすべきだなどと主張していました。
20日に横浜地方裁判所で開かれた裁判で吉井隆平裁判長は、両親を殺害したことは認めたうえで「極めて重大な結果だが、両親による長年の不適切な養育がなければ事件は起きなかったと考えられる。長男は内省を深めていることがうかがえ、長期間、専門的な矯正教育を受けることが望ましく、保護処分にするのが相当だ」などとして、家庭裁判所に送る決定をしました。
今後は、家庭裁判所で再び審判が開かれ、処分が決められることになります。
裁判所の決定について長男の弁護士は「少年が育ってきた過酷な環境が裁判所に理解され、本当に必要な処遇が選択されたことはよかったと思います」と話しています。
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この件について、2月20日のNHKニュースの中でさらっと触れられ、それで終わりでした。
私は、これまでも、「子どもが親や祖父母を殺した」という事件を見聞きするたびに
その子はどんな家庭環境で育ってきて「殺害」という最終手段に至ったのかと考えてきました。
「親を殺すなんてとんでもない」という世間の多くの反応は、
その家庭でその子が長い間どのように親に関わられていたのか、
どんな思いを抱えて生きてきたのかにはほとんど思いを寄せることは無く、
ただ「親を殺した」事実だけを批判することが多い気がします。
検察が懲役10年から15年の不定期刑を求刑したのは、
「親を殺した」ことに対してのみだったと思います。
子どもに対して「親を殺した」ことを罰するのであれば、
親がその子に対して行ってきたことはどうなるのでしょうか。
この少年に限って言えば、身体的暴力・精神的暴力・ネグレクト・
自分たちの性生活を見せつける、などが両親によって行われてきました。
言葉で表せばほんの数行のことですが、
幼い時からこのような関わりをされてきた少年の気持ちに思いをはせてみてほしいです。
児童相談所は直接少年と関わる機会があったにもかかわらず、
結局「問題ない」ということになり、
少年が救われることはありませんでした。
別の記事に当該児相の課長の
「本人から言ってもらわなければ介入のしようがない」
という趣旨の言葉がありました。
「親から虐待を受けている」と見知らぬ大人に訴えられる子どもがどれだけいるでしょう。
子どもの心理にあまりにも無頓着な言葉であり、
「本気で自分の仕事をやっているのか!」と腹立たしさしかありません。
児童福祉の専門職として失格だと思います。
どこかの時点で誰か大人が本気でこの少年と向き合っていれば、
気づいて救い出していれば、
この少年に罪を犯させることも無かったと思います。
今この時にも、親が子どもに対して行っているひどい事は、
今の社会ではほとんど気づかれることもなくとがめられることもなく、
子どもの心は傷つけられていきます。
親のやってきたことは不問で、子どもだけが批判される。
何かのドラマか映画で観たことがあります。
誰にも知られず子どもを虐待している親を見つけては
密かに次々と制裁を加えていく。
その人は最後には殺されたか自殺したかだったと思いますが、
私は心の中でそのダークヒーローを応援していました。
「暴力はいけない」というきれいごとの陰で、
家庭の中で子どもの心はズタズタにされ続けている。
それを放置している社会なら、
ダークヒーローがいてもいいと私は思ってしまいます。
本来であれば、虐待する親に介入して矯正する機関があり、
子どもは親もとでなくても安心して安全に暮らせるように
社会が作られていかなくてはならないと思います。
でも、今そのような理想的な社会になっていない、
そのような社会を創っていこうと本気で思ってはいない現実の前では、
私は(批判を覚悟の上で)暴力に訴えてでも子どもを救ってほしいと思います。
私のクライアントさんたちの状況は様々で、
「私はそこまでひどくはなかった」という人ももちろん多くいます。
それでも生きづらさは抱えています。
そして中には「親がこんなひどいことを子どもにするのか」と憤りを覚えるような
悲惨な子ども時代を過ごしてきた人もいます。
親を殺すことも無差別殺人をすることも自分自身を殺すこともせずに、
(本人は「何度も自殺に失敗したダメな奴」と自嘲しますが)
ここまで生き抜いて社会人として今も頑張っている彼女たちに、
私は最大限のねぎらいと尊敬の念を抱きます。
そんな虐待サバイバーと話していると
「どこかで誰かが気づいてあげられなかったのか」と思います。
学校の先生が一番気づきやすいと思いますが、
面倒なことには関わりたくないと気づかないふりをする教師も少なくないようです。
再掲になりますが、今回の事件について
『裁判長は、両親を殺害したことは認めたうえで「極めて重大な結果だが、両親による長年の不適切な養育がなければ事件は起きなかったと考えられる。長男は内省を深めていることがうかがえ、長期間、専門的な矯正教育を受けることが望ましく、保護処分にするのが相当だ」などとして、家庭裁判所に送る決定をしました。
今後は、家庭裁判所で再び審判が開かれ、処分が決められることになります。
少年の弁護士は「少年が育ってきた過酷な環境が裁判所に理解され、本当に必要な処遇が選択されたことはよかったと思います」と話しています。』
こうして家庭内で人に知られることもなく子どもたちが
心を傷つけられ成長を損なわれていることを考慮される社会に
少しずつ変化していることには少しの希望を感じます。
今後この少年が矯正教育という名の元であっても
本当に子どもの幸せを願う大人たちに関わられ、
心身の傷を癒し成長していってほしいと願います。
しかしその先には、自分のやったことに対する重みを自覚し
そのことによる苦しみも生まれるかもしれません。
それでも、その上で、その少年が自分のかけがえのない人生を
幸せに生きていけるようになることを心から願ってやみません。