パラダイムシフト&母親からの虐待のドラマ
掲載日:2017.01.24
あるサイトからのご縁でセッションをさせていただいた方が、サイトに感想を載せてくれました。私と話すことが「パラダイムシフトになった」と書いてありました。(パラダイムシフトとは、日本語にすると「それまで当たり前と思っていたものの見方やとらえ方が劇的に変わる」とでも訳せましょうか。)
ご本人が書いていることのみから(守秘義務があるので、私からは内容を話しません)、その関わりを少し伝えさせてもらいます。
「いろいろなことがうまくいかず、もがいてももがいても先が見えずに、困り果てていた」という彼女の話をじっと聞いていて、私は「なんてステキな感性を持っている人なんだろう」と感じました。それをそのまま私の言葉で彼女に伝えました。いろいろなところでダメ出しをされ自信を失っていた彼女に、「これまでいた場所が、本来彼女がいる場所ではなかっただけ」だということに気づいてもらいました。
彼女は『みにくいアヒルの子』でした。童話の中で、アヒルたちから非難されダメ出しをされ自信を失っていた『みにくいアヒルの子』は、水面に映る自分の姿を見て「自分はあの美しい白鳥たちの仲間だったんだ」と気づきます。私は彼女にとって「水面」の役割をしました。彼女の本当の姿を、鏡のように彼女にそのまま伝えただけです。それが彼女にとって「アヒルだと思っていた自分は、本当は白鳥だったんだ!」と気づくというパラダイムシフトになったのだと思います。
私からの言葉を反芻しながら過ごしていると書いてありました。本名も住んでいるところも連絡先も知らない彼女と、たった25分間話をしただけで、彼女は白鳥である自分に気づき、その道を歩み始めました。その時間の中で、彼女はこれからの人生を生きていく上での大事な「問い」を持ったと言います。やはりステキな感性の持ち主でした。こんなステキな人が世間からダメだしされ、自分でもそう思い込まされて生きてきたなんて・・・。
Aさん、出会ってくれてありがとう。どうか自分の内側から湧いてくる思いを大切に生きてください。これからあなたが自分らしくイキイキと生きていくことが、あなたの周りの人たちをも輝かせていくことを、私は確信しています。
こんなステキな出会いがあるから、私はこの道を更に精進して進みたいと改めて思います。
同じように苦しくて私とつながる人の中には、これまでにも書いてきたように「母親からの虐待」を受けてきた人も少なくありません。自分が受けてきたことを「虐待」と認識できないから苦しんでいるとも言えます。誰だって自分の親から虐待されていたなんて簡単には認めたくないと思います。
でもその現実を認める(虐待と言う言葉をそのまま使わなくてもいいので)「自分は親からそういう扱いを受けてきた」と認めるところから、その痛みや苦しみからの解放が始まると思います。
そういう意味では、2つの異なった「母親からの虐待」を扱ったドラマが最近ありましたね。ひとつは、誰が見ても虐待とわかる「愛を乞う人」をドラマ化した単発もの。もうひとつは、このケースの方とも時々出会いますが、「私は母に愛情たっぷりに育てられました」と言いながら、なぜか生きづらさを抱えているタイプの人たちの問題です。「優しい虐待」とか「真綿で首を締める」という言い方をされる、一見すると虐待とは真逆の、大切に育てられてきた(ように見える)場合です。
こちらのドラマは、「お母さん、娘をやめていいですか?」というNHKの連続ドラマです。わかりにくいこの問題のポイントを上手に描けているな~と思っていたら、エンドロールに「臨床考証 信田さよ子」とあるのを見て、合点がいきました。偉そうに聞こえたらごめんなさい。信田さんは臨床心理士として、私なんかよりずっと多くの悩める人たちの相談にのってきた「知る人ぞ知る」家族問題のエキスパートと言っていい方です。その信田さんが関わっているドラマなら、単なる興味本位のものにはならず、この問題の本質をあぶりだしてくれるだろうと思います。
一目で虐待とわかるケースも、一見するとわかりづらいケースも、どちらも母親自身が同じように虐待されていたり親の思う通りに生きることを強いられてきた場合が多いです。だからと言って、今苦しんでいる娘自身がそんな母親をムリに理解したり許したりする必要はないと私は思っています。
虐待や支配など親から不適切な関わりを受けてきて苦しみを感じているなら、まずは自分自身が幸せになること、自分の人生をしっかりと生きることを優先してください。自分がたっぷりと満たされたり納得した人生を歩んだ上で、余力があれば親のことを理解したり許したりすればいいと思います。今自分自身がとても苦しい段階では、ムリをして親を理解する必要はありません。というか、すべきではありません。そんなことをしていたら、いつまでたってもあなた自身の苦しみから解放されないままになると思います。自然に許せる日が来たら、許せばいい。そんな日が来なかったら、ムリに理解したり許したりしなくていいのです。
≪ 一人一人が(他人をどうこうしようとしないで)、「自分自身を幸せにする」ことに一生懸命になればいい ≫
たくさんの相談を受けてきて、私がしみじみ思うことです。