ゲシュタルト療法ワークショップ

掲載日:2020.02.04


2年間にわたるゲシュタルト療法のトレーニングコースが、先日終了しました。
私も晴れて「ゲシュタルト療法ファシリテーター」となりました。
2年間、毎月東京へ通った自分をねぎらいたいと思います。

東京通いが終わってほっとする暇もなく、今月1日2日は札幌で
ゲシュタルト療法のトレーナーの一人である「渡辺トヨ子さん」のワークショップがありました。
トレーニングコースが終了したばかりでちょっと疲れていたけれど、
トヨ子さんが北海道に来てくれる機会はめったにないので、頑張って参加しました。

トヨ子さんは、小柄でチャーミングな70代の女性です。
ゲシュタルト療法のトレーナーの中で私が一番好きな人です。
彼女がいるだけで、その空間がふわっと和むような、そんな人です。

ほとんどの参加者は、ご自分の辛いことや引っかかっていること、
生きづらさなどをテーマにワークを受けました。
トヨ子さんが丁寧に話を聴いていき、問いかけをしていくと、
クライアントにとても大切な気づきが起きます。

自分一人では気づけないことも、しっかりと聴ける人がそばにいると、
人はこんなふうに自分にとって必要なことに気づいていけるということを、
今さらながら実感しました。

私はありがたいことに、今は困っていることや悩みがないので、
「自分が今幸せであること」をテーマにワークを受けてみました。

そこで気づいたことは、「私は今とても幸せでいること」、
「自分が幸せでいることを自分に許しているということ」でした。

「自分に許すって何?」と思われるかもしれません。

20代のころの私は、「幸せになること」を自分に許していませんでした。
幸せになりそうになると、無意識にその幸せを自分で壊していました。

そう、意識では「幸せになりたい」と思っていたのに、
無意識では「私は幸せになってはいけない」と強く思っていたのです。

その理由は、母が不幸だったからです。
「不幸なお母さんを置いて、私だけが幸せになってはいけない」と
私の無意識は強く感じていました。
無意識のパワーは、意識なんて吹っ飛ばすほどすごい影響力があります。

その頃には、自分で幸せを壊して不幸を選んでいたなんて気づいていませんでしたが、
今ならよくわかります。

そして、幸せになれなかったもう一つの理由が、
私が自分を肯定できていなかったことです。

周りからどんなに良い評価をもらっても、
私自身が「こんな自分なんかじゃダメだ」と自分を否定していました。
私は自分を好きではありませんでした。

そんな20代を経て、紆余曲折を経て、
60代の私は今、幸せです。

できないことやダメなところがたくさんあっても、私は今、こんな自分が好きです。
「ダメなところがたくさんあっても、一生懸命に生きているよね」と、自分を愛おしく感じます。

自分自身も遠慮なく幸せでいて、
そして同時に、今辛い思いをしている人にしっかりと寄り添いたいと願っています。

トヨ子さんとのワークでは、「個人の幸せを感じる私」と
「困難の中にいる人たちと一緒に、その痛みを受け止める私」
それぞれが質が違っていながら私にとって幸せなのだと感じました。

私は、誰かが辛い思いをしていたら、落ち着かなくなります。
だから、たとえ解決できなくても、その辛さを一緒に受け止めたい。
私はそうできたほうが嬉しいから、そうします。

同時に、私個人が幸せであることも、とても大切なこと。

「私個人の幸せ」と「他者の幸せ」を、どちらも大事にしていく。
これからも、そんな自分として生きていこう。
改めてそう確信できたことは、私のこれからの人生の歩みをより力強くしてくれる気がします。

先日のワークショップの内容は書けないので、ここでは私個人の体験を書きました。

一人一人の参加者に次々と大事な気づきが起こり、
抱えていた痛みが軽くなっていく様子を見るにつけ、
私も北海道の人たちにゲシュタルト・ワークショップを提供していきたいと感じました。

基本的には、これまで電話セッションで行っていることと変わりはありませんし、
時々開催してきたワークショップもほぼゲシュタルト・ワークショップと言っていい内容でした。

ですから、電話セッションもワークショップも、これまでと大きく変わることはありませんが、
「ゲシュタルト・ワークショップ」と明示することで、よりゲシュタルト療法に特化した内容で
行うことになると思います。

参加の皆さんに大切な気づきが起こり、より良い人生を歩む一助となるようなワークショップを
今年は開催していこうと思っています。

みんなで、今よりもっと幸せになっていきたいと願っています。

「きれいごとを言うな」と思う人もいるかもしれませんが、
誰がどのように感じたとしても、私にとって他者の幸せは必須なので、
私はその道を歩んでいきます。