ウクライナ問題で抱く違和感
掲載日:2022.04.12
ウクライナの状況が、画面を通して見ているだけの私たちにも痛みをもたらしますね。
実際に体験しているウクライナの人たちはどれほど大きな痛みを抱えているかと、
それを思うだけで更に胸が痛みます。
そのようなウクライナの報道に接する時に、私はいくつもの違和感を覚えます。
それは、プーチンやロシア軍に対しての強い怒りや憤りは当然持った上での「違和感」です。
「追い詰められたプーチンが、核兵器や生物化学兵器など非人道的な兵器を使う」
その可能性を世界が恐れていてなかなかロシアに対して明確に強い行動に出られない
という報道がよくなされます。
「核兵器や生物化学兵器を使う」こと自体は、本当に避けなければならないことだと思います。
ただ私の違和感は、それらの兵器を「非人道的兵器」と表現するところです。
屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、「じゃあ、人道的な兵器ってあるの?」ってことです。
非人道的兵器のカテゴリーに入っていない「戦車やミサイルは人道的な兵器なの?」ってこと。
他の武器を知らないのでこれしか挙げられませんが、「戦車やミサイル」も
間違いなく人を殺したりひどい傷つけ方をする兵器ですよね。
それらの使用は暗に認められていて、「核兵器や生物化学兵器だけは使っちゃいけない」
みたいな風潮にとても違和感を覚えます。
改めて強調したいです。
兵器はすべて「非人道的」です。
そして今、民間人が多数殺され、これからも殺される可能性が大きく問題視されています。
もちろんそれらはあってはならないことですが、
「じゃあ、兵士は殺されてもいいんですか?」というのが更なる私の違和感です。
兵士の多くは男性です。
兵士だって普段の生活では「父親」であり「息子」でしょう。
ほとんど報道されることがないので私たちは民間人の死者ばかりに目が向きますが、
報道されることなく「その死は当たり前」のように
たぶん多くの兵士たちが命を奪われていますよね。
それはウクライナ軍もロシア軍も。
これから戦闘がさらに激化すると言われています。
多くの兵士たちの命が奪われることでしょう。
「彼らの死は、当たり前のこと」なのでしょうか。
「女性や子どもたちを守れ」ということにも、私は違和感を持っています。
もちろん女性や子どもたちも守ってほしいけれど、男性だって命を失うことは恐ろしいと思います。
ただ男性の方が総じて頑強だからという肉体的生物学的な特徴で、
男性たちは戦場で殺されても命を軽んじられてもいいのでしょうか。
「命の重さ・大切さが、性別や年齢などで差別される」ことに違和感を覚えます。
私たちの意識にはのぼりづらくても、こうしている間にも、
ロシア軍もウクライナ軍も多くの「兵士」と呼ばれる人たちが殺されていることに
私は胸を痛めています。
もう一つの私の違和感は、「日本の難民支援」です。
もちろん、日本政府がウクライナの人たちを受け入れようとしている姿勢は、
素直に歓迎します。
でもね、今回のウクライナの問題が起こる前までの難民の方たちに対する日本の姿勢は、
あまりに「非人道的」だったと言わざるを得ません。
母国にいれば身に危険が及ぶから日本に逃れてきた人たちに対して、
「こんなひどい対応を、人間としてよくできますね」と、
日本政府の対応に、私は日本人であることを申し訳なく思うことが多々ありました。
それが今回は欧米の人権国家(?)の一員のように、
「ウクライナ非難民を受け入れます」というこの変わり身の早さ。
もちろん、しないよりはずっといいけれど、
これまでの他の国からの難民の方たちに対する態度とあまりにも違いすぎて、
見ているこちらが恥ずかしくなるほどです。
ロシアのウクライナ侵攻はひどいことだらけですが、
唯一良かったことを挙げるとしたら、
日本の難民支援がやっと「非人道的」からマシになるきっかけをもらった
ということでしょうか。
他には「報道」についての違和感です。
今、「ロシアではプロパガンダにより、国民は正しい情報が与えられていない」
「だからロシア国民はプーチンのしていることがわからず支持している」と言われ、
ロシアという国の情報規制の異常さが指摘されています。
でもそれ(プロパガンダとまでは言いませんが報道規制)は、
規模は違ったとしても、この日本で起きていますよね。
「他人・他国のことを憂いている場合じゃないですよ」
と言いたい人は私一人ではないと思います。
報道規制が顕著になったのは、安倍元首相のころからですよね。
政権に批判的な報道はかなり抑え込まれました。
NHKは完全に安倍総理のお気に入りに牛耳られました。
今、ロシアでプーチンを支持しているのは国営放送しか見ない高齢者が多いと言われていますが、
日本だって、多くの高齢者は「安倍総理に都合の悪いことは放送しないNHK」を信頼して
真実から目を覆われていたことを、どれだけの人たちが自覚していたでしょうか。
中国やロシアほどひどくはないけれど、
政府の方針に都合の悪いことは報道されないことは多いのです。
この日本だって政権批判をすることは怖いことになりかねないのです。
よその国のことを笑ったり見下している間に
日本もじわじわと「本当のことを知らされない・言えない国」になって行きつつあることに気をつけ、
「健全な政権批判」ができる自由を取り戻していきたいと切に願っています。
このままでは、そう遠くない日に、ロシアや中国と同じように
自由にモノが言えなくなる日が来ないとは言い切れない気がします。
私の違和感、最後の一つ。
ロシアが今回ウクライナの民間人に行った残虐行為を、
私たち多くの日本人は「なんてひどいことを!」と思っていますね。
でも、それに劣らないくらいひどくむごいことを日本軍は第二次世界大戦で
中国や朝鮮半島やアジアの国々でしてきたということを忘れてはならないと思います。
日本軍がアジアの人たちに拷問や人体実験や性暴力、大量虐殺など、
むごいことをしてきたことを、私たち日本人はほとんど知らされてこなかったし、
認めるには辛すぎるので気づかないふりをしているのでしょうか。
それもやはり、今のロシアと同じように、
自分たちのしてきたことを隠したい権力者たちが
無いことにしてきたからだと思います。
日本人の中には今でも、例えば「南京大虐殺はなかった」と主張している人たちがいます。
世界が「実際にあったこと」と認定していることを
「捏造だ」と否定している人たちがまだいるのです。
それって、今のロシアと同じですよね。
「今のロシア軍と同じような、あるいはそれ以上の残虐行為を日本軍はした」
この事実は私の胸を掻きむしるし、吐き気がします。
私は、よその国の残虐行為を見聞きするたびに、
「日本人もそういうことをしたんだ」と思い出してしまいます。
そして、私たちの耳には入ってきませんが、アジアの各地で、
「日本軍も今のロシア軍以上のことをしたんだよ」とささやかれている可能性はあるのです。
今回私がこう書いたことで初めて「そんなことがあったの?!」と
驚いた人もいるでしょう。
でも事実なんですよ。
私たちのおじいさんの時代の兵隊さんたちは、そういうことをしてきました。
日本の兵隊さんたちの多くが、戦地から帰ってきた後、
そこでの体験に一切口をつぐんで亡くなっていきました。
それは、戦争の悲惨さを思い出したくないという「被害者」としての理由ばかりでなく、
彼らが戦地で家族にも誰にも知られたくない残虐な行いをしてきた「加害者」としても
一切口に出すことはできないということも
大きな理由の一つであると思います。
中には自責の念で精神を病んでしまった人たちもいます。
そして日本という国は、その事実さえ無いことにして、
戦争から帰って精神を病んだ人たちの記録さえ抹消してしまったのです。
その事実を知らず、あるいは目を背けて認めようとせず、
「私たちは善良な国民」って単純に思っていると、
いつの間にかまた権力者に戦争に突き進まされてしまう可能性は無いとは言えないと思います。
そして戦争に突き進むことを決める権力者は、決して戦いの前線には行きません。
自分の子どもも行かせないでしょう。
前線に行かされて殺し殺されるのは、善良な国民なのです。
そしてその「善良な国民」も戦地へ赴けば、
一人一人の中に眠っている「残虐性」を呼び起こされて、
信じられないような残虐なことをしかねない。
「自分はそんなことはしない」と思っている人ほど、
極限状態になった時に何をするかわかりません。
とにかく 【戦争は、私たちの内側に潜む「残虐性」を引き出し、
あらゆる「非人道的」行為を行うことだ】
ということを肝に銘じておかなければいけないと思います。
だから、私たちはあらゆる努力をして、
戦争を起こしてはならないし阻止しなければならないのです。
神さまは人間に「残虐性」と、それを越えていく「智慧」の
両方を備えさせたのかなと、特に最近私は思います。
智慧を使って乗り越えてこそ、人間は人間として生きられるのだと思います。