ご縁が繋がって
掲載日:2023.03.28
私は四人姉妹の長女です。
女ばかり4人もいると、生き方も価値観も違ってきます。
気が合う、合わないも出てきます。
私は10歳違いの一番下の妹と一番気が合います。
気が合うというより、妹が合わせてくれているのかもしれません。
妹と私は、生き方がかなり違います。
長女の私が一番浮き沈みの多い人生を生きてきて、
末の妹が一番堅実な生き方をしてきていると思います。
私の人生はざっくりと・・・
全日空に勤め国内海外旅行を楽しんだ青春時代、
結婚するも娘が1歳5か月の時に離婚し以来極貧生活の母子家庭時代、
娘が小学生の時に「前例がありません」と言われながら36歳で奨学金を借りながらの大学生活、
実習で行った児童養護施設で子どもたちが私に心を開いてくれたことに嫉妬され
施設職員に陰湿ないじめを受けたり、
施設の子どもたちの実態と国への要望を新聞投稿して紙上で厚生省の役人に叱られたり、
児相の会議で「もっと子どもたちのことを真剣に考えてください」
「給料分の仕事をしてください」とぶち上げ(今ならもう少し上手にするのですけどね)、
以後、厚生省と児相関係者ににらまれ札幌近郊の児童養護施設で働けなくなったこと、
高齢者のソーシャルワーカーになって市内を駆け回っている中で不公正さを痛感し
苦しんでいる人を少しでも減らしたいと市議会議員になってしまったこと、
政治の世界になじめずにうつになってしまったこと、
回復して40代後半で北大大学院に入ったけれど「ここも違う」とやめてしまったこと、
その後も「三つ編みのおじいちゃん」にビビビッときて
そのネイティブアメリカンのおじいちゃんに会うために、
50代で英語を猛勉強して3か月に一度たった一人でニューメキシコに通ったり・・・
まだまだありますが、こうして書き出してみると
我ながら普通の人生とは言えない生き方をしてきたようです。
そんな私と対照的な生き方をしてきたのが一番下の妹です。
妹は次男と結婚しましたが、
事情があって結婚と同時に夫の両親と祖母が暮らす家に同居しました。
親戚も多く、常に親族が出入りする家でした。
私たちの両親は、駆け落ち同然に本州から来た人なので、
北海道に親戚はなく、私たちは親戚関係をほとんど体験せずに育ちました。
私が親戚に抱いているイメージは、
離婚した時や人生の岐路で、よく事情を知りもしないで電話をかけてきて
自分の価値観を押し付け否定的な言葉を投げつけてきた叔母のイメージです。
というわけで私にとって親戚とは
「煩わしくて不快なことが多く、できるだけ関わりたくない人たち」というイメージです。
そのような親戚がわしゃわしゃ(笑)出入りする夫の家に入った妹は、
仕事を続けたかったけれど夫の希望で専業主婦となり、
二人の息子を育て上げ、祖母と両親を看取りました。
そんな妹のことを、私はいつも「すごいなぁ」と思っていました。
私には絶対にできないことです。
親族も「次男の嫁なのに家に入ってくれたこと」
「祖母と両親を大切にして看取ったこと」を感謝して、妹をかわいがってくれたようです。
妹の夫は会社役員となり、妹は今かなり裕福な暮らしをしています。
妹と夫は仲良しで、息子たちが育ち上がった今は
二人でゴルフや旅行を楽しんでいます。
今の生活は、妹のいろいろな思いが報われた結果だと思います。
「頑張ってきて良かったね」と心から思っています。
他人に煩わされるのがイヤで自分本位に生き、
思ったらあとさき考えずに行動してしまう私と、
多くの他人の中で堅実に生きてきた妹。
この二人が4姉妹の中で一番気が合うというのはなかなか面白いことだと思います。
その一番の理由は妹が「できた人間」であるということだと思います。
あとは、「お互いに相手の生き方に口出ししない」
「その生き方や価値観を尊重してきた」ということも大きいと思います。
まあ、そんな妹もかつては私の生き方に批判的だったことはありますが、
その都度私にピシャリとはねつけられて学んだようです(笑)。
というわけで、今は姉妹の中で一番交流がある末の妹とは、
数か月に一度は「ランチしない?」と誘いが来て一緒に時間を過ごします。
そんな妹からお彼岸に「お墓参りに行くけど一緒に行かない?」とラインがきました。
妹はそういう行事もきっちりする人です。
父が亡くなった時に建てたお墓は市内にあり、
今は母のお骨もそこにあります。
ふとどき者の私にとってお墓は「千の風になって」のイメージなので、
自らお墓参りに行くことはありませんが、
1時間以上かけて妹が来るのに市内にいる私が行かないのはちょっとね、
という感じで合流することにしました。
私がお墓参りに行くのは、妹から声がかかった時だけです。
ということで、先日のお彼岸に妹はいつものように夫と一緒に
夫の方のお墓参りを済ませ、そこから1時間半かけて両親のお墓参りに来ました。
その妹から「○○も連れていくね」と連絡がありました。
実は、妹は昨年末から里子を引き取って育てています。
毎年お正月には私の家に家族で来てワイワイするのですが、
今年はその子が来たばかりだったため私の家に来ることはやめました。
小学生のその子は近所から通報されるほどの虐待を母親から受けていて、
唯一かばってくれていた父親が亡くなり、
母親の虐待がエスカレートし児相に一時保護されていました。
その子が一緒にお墓参りに来ると言います。
守秘義務があって軽々にその子のことを話せないことは承知の上で、
会った時に私がその子にとって不適切な言動をしないために、
事前に最低限の情報を聞かせてもらいました。
その子が家に来たばかりの時に、妹は自分たちのことを
「『おじさん』『おばさん』と呼べばいいからね」と伝えたそうです。
するとその子は「『お父さん』『お母さん』と呼びたい」と言ったそうです。
その時に妹は「この子は母親と決別することを決めたんだな」と感じたと言っていました。
妹もこの3か月の間に大変な思いをしたようで、
目がけいれんしたり眠れなくなったりしたようです。
虐待されていた子を引き取り育てるということはどれだけ大変なことか、
児童福祉を学んできた私としては少しはわかるつもりです。
私ができることは、妹を支えることだと思っています。
妹の家に来たばかりの時にはほとんど表情がなかったというその子は、
会ってみるとずいぶん表情が柔らかくなっていて、
妹夫婦が良い関わりをしてくれたことがわかります。
まだ小学生のこの子の体の中にどれだけ多くの痛みが湛えられているかと思うと
目の前にいるだけで愛おしさが高まります。
この子がこれから生きていく中で、妹夫婦以外に
その存在を愛する人として私はいようという強い気持ちになりました。
お墓参りの後でランチを一緒にしました。
それぞれ好きなものを注文してシェアしながら食べる中で、
私のパスタを「ちょっと食べてみない?」とその子に聞くと
遠慮がちに「うん」とうなずいたので少しお皿に分けてあげると
「おいしい」と言います。
お世辞ではなく本当にその子のお口に合ったことがわかって嬉しかったです。
別れ際に、事前に買ってあったプレゼントを手渡すと、
はにかみながらも嬉しそうに受け取ってくれました。
私自身が嬉しくなります。
「またね」とお別れして、
私の中で改めて「あの子を大切に愛そう」と強く感じました。
血が繋がっている・いないは関係なく、
ご縁が繋がったあの子を愛していくことは私自身の幸せであることを感じています。
自己中心的な私の内側から愛情が湧き上がってくるのは、
クライアントさんとのセッションの時です。
そしてこれからはあの子と向き合った時にもそうなる予感がします。
今願うことは、あの子がこれからも妹夫婦の下で
安全に安心して育てられますようにということ。
どうやら母親が「返せ」と騒いでいるようで、
あの子が嫌がっているのに児相は母親と会わせようとしているようです。
そんなことを聞くと、また児相に乗り込んでいきたくなります。
子どもを本気で守ろうとしない大人には本気で腹が立ちます。
どのような方法であれ、あの子にとって最善の道が用意されますように心から祈ります。