いったい誰を守るの?

掲載日:2018.08.21


沖縄の翁長知事が亡くなったことを知ってから、私は胸に重い石があるように感じています。
その石は、赤黒くずっしりとした重みがあります。
その石を感じると、悲しみと申し訳なさのようなものが湧いてきます。

沖縄には縁もゆかりもない私です。
でも、沖縄の人たちが強いられている苦しみや不安を、他人事と思えない私がいます。
どうして沖縄の人たちばかりが、当たり前のように苦痛を強いられるのでしょうか?
どうして本土の多くの人たちは、それをおかしいと感じないのでしょうか?

今年春、オスプレイが横田基地に配備されると報道されると、
周辺の自治体の多くの人たちは「絶対に配備しないでほしい」と訴えていました。
沖縄に配備されるのは知らんふりでも、東京に来るのはダメなのですか?

百歩譲って、オスプレイの日本への配備が必要ならば、
それを沖縄だけに押し付けるのではなくて、日本中で受け入れましょうよ。

米軍基地が必要なら、沖縄にはもう十分に基地があるのですから、
辺野古に作るのではなく、本土の各都道府県で分散して受け入れましょうよ。

頭の上をオスプレイが飛ぶ不安と恐怖を、沖縄の人たちだけに味わわせるのではなく、
日本中で私たち一人一人が味わいましょうよ。

オスプレイは垂直離着陸ができるということですから、広い滑走路は要りませんよね。
だったら各市町村で一基ずつでも受け入れませんか。
市役所の駐車場の一角にでもオスプレイの場所を作ればいいんじゃないでしょうか。

何だったら、各市町村長の家の庭にでもいいかもしれない。
首相官邸には、5基くらい、最低でも3基は引き受けてほしいですね。
「必要だ」と一番訴えている人が、率先して引き受けましょうよ。

「国を守る」って、どういうことなんでしょうね?
国の何を守るのでしょう?
「土地」ですか? 「人」ですか? 「特定の人」ですか?

「特定の人」以外の「普通の人」たちは、守る対象には入っていないのでしょうか?
そして、「沖縄の人」は「普通の人」のカテゴリーにも入っていないのでしょうか?

終戦記念日の前後で、例年通り、先の大戦の特集がいくつも組まれていました。
「辛すぎて見られない」という気持ちもありながら、
「見ておかなくてはならない」という気持ちでいくつかの番組を見ました。

その中で今年も更に確信したことは、戦争では「一般の人たちが真っ先に犠牲にされる」ということです。

沖縄戦でも、兵隊が入るために「一般の人たちが防空壕から追い出される」
ということが頻繁にあったということはよく知られていることです。
中国大陸でも、終戦間際に日本に逃げてくる時に、軍人が優先で逃げて、
一般の人たちは守られることもなく、多くが逃げ遅れたり悲惨な体験を強いられました。

そして本土でも、治安維持法という法律の下で、多くの「普通に生活をしていた人たち」が、
理由もあいまいなまま、ある日突然逮捕され拷問を受けました。
普通に生活していただけなのに、拷問によって殺された人や、
殺されないまでもその後の人生を心や体に深い傷を負って生きた人たちが大勢います。

これらは、一般の人たちが犠牲にされたごく一部の例です。
そして、兵隊として取られて戦地へ送られた人たちも「一般の人たち」だったということも忘れてはならないと思います。

そんな一般の人たちが、消耗品のように戦地で命を落とすことを強いられました。
人を殺すことを強いられました。
ある人たちは自爆を強いられ、ある人たちは飢えで苦しみながら餓死していきました。
そんなふうに「一般の人たちを犠牲にして」、一体何を守ろうとしたのでしょう。

「国を守る」って、どういうことなんでしょう?
「国民」って、誰?

戦争中でなくても、沖縄の人たちをはじめ、今年の出来事だけでも、例えば福島の人たちや、
水俣病の人たちや、難病の人たちが、「予算が無い」ということで、切り捨てられています。

予算はいくらあったら、「国民」は切り捨てられ苦しみを強いられずに済みますか?

例えば、去年安倍さんは仲良しのトランプさんから言われるままに、
地上配備型迎撃システム「イージスアショア」1基1000億円を2基買うことに決めました。

そして今年に入ってから、「よくよく聞いてみると2基で総額6000億円になることが分かった」と言います。
2000億円のはずが6000億円になっても、ホイホイと買ってしまうんですね。
(2000万円と言われて買おうとしていたマンションが、契約時に「実は6000万円でした」と言われて、
文句も言わずに「あら、そうでしたか」とすんなりお金を払いますか?)

その他にもオスプレイを何基か購入するということですが、
アメリカ軍の購入金額は1基50~60億円のものを、日本政府は100億円以上で購入します。
1基50~60億円のものを100億円と言われて、これまたホイホイと出せるんですね。
それを何基も、まさにトランプさんの言うままに買っちゃうんですね。

自分の国の人々が苦しんでいることにはお金を出し惜しみして、
自分のお友だち(だと思ってるけど、相手はそう思っているのかな?)には、
いくらでもじゃぶじゃぶお金を使うんですね。

いったい誰を守るために、そんなに高い武器をたくさん買うのでしょう?

いまだに何万人もの震災の被災者が仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。
今年の豪雨の被害者に関してだけでも、流されたり壊れたりした住宅の再建や
泥だらけになった家の後始末に暑い中をボランティア頼みで必死で頑張っています。
「頑張っている」なんて、軽々しく言えないくらいの絶望感と背中合わせの中にいるのだと私は思います。

せめてイージスアショアの差額数千億円、オスプレイ1基につき数十億円×何基?分だけでも、
今苦しみの中にいる人たちにかけられませんか?
なぜ苦しんでいる国民をそのままにして、軍備に莫大なお金をじゃぶじゃぶかけるのか、
私には理解できません。

国民の苦しみをそのままにして、軍備に莫大なお金を使う日本。
私には日本と北朝鮮の違いがわかりません。
(こんなことを書くと、現代版特高警察にマークされていつか逮捕されるかもしれませんね。)

もともとは自民党の沖縄県連幹事長だった翁長さん。
その翁長さんが「これ以上沖縄ばかりが痛みを強いられることにはノーだ」
「イデオロギーよりアイデンティティ」と言って、政府自民党に反旗を翻すようになった経緯があります。

私自身は、どのような宗教や党派にも所属していません。
そういう枠に当てはめられるのは嫌いな人間です。
誰かが決めたことをうのみにして生きることができない人間です。
ただ「人として」自分が感じることは大事にしたい。

評論家でも知識人でも有名人でもありませんが、
普通の一般人の私が「おかしい」と感じたことを、発言せずにはいられません。