ある冬の日

掲載日:2021.12.07


「母親との関係」と書くと、そこには対等さがある感じがします。

しかし、母親からの批判や否定、価値観の押し付けを幼い時から受けてきた
私のクライアントさんの多くから見れば、そこには対等な関係性はなく、
抗うことのできない一方的な精神的支配や逃げ場のない攻撃があるだけだと
彼女たちの声を聞く中で強く感じます。

クライアントのMさんは
(私のクライアントさんにはイニシャルMさんが多いと気づきました)
セッションを始めて半年以上が経ちますが、
心の傷が大きすぎて、いまだに母親のことに触れることができません。

痛々しい彼女の様子を見ていると、
どれほど辛いことが繰り返されてきたのだろうかと胸が痛みます

常に「死にたい」と隣り合わせで生きてきた彼女には、
「ここまで頑張って生きてきてくれて、ありがとう」といつも心の中で思っています。
出会えたことに心から感謝しています。

そんな彼女とセッションをしていると、
彼女の言葉のチョイスに思わず笑ってしまうことがあります。

重苦しいセッションの中でクライアントさんが発した言葉にセラピストが笑うなんて、
普通はありえない、むしろ批判されるようなことかもしれません。

しかし彼女との関係性の中で、
私の笑いは彼女の癒しがたい痛みを優しく柔らかく包み込む、
そのようなものだと彼女は感じてくれているようです。

何よりも私は彼女の言葉のファンです。

考えて作り出した言葉というよりは、
彼女の感性からにじみ出てきた言葉、
深い痛みを体験してきた人だからこその
独特の言葉のチョイスだと感じます。

そんな彼女に、「感性のままに文章を書いてみる」ことを提案しました。
文章や文体の良し悪しを気にせず、
ただ自分の内側から湧き上がってくるものを言葉にしてみてほしいと伝えました。

IT系企業で管理職としてバリバリ仕事をしている30代の彼女は、
自分の命を削るかのような働き方をしてきましたが、
セッションを受けて少しずつ人間的な(?)働き方にシフトしてきています。

そんな彼女は「自分では理系の人間だと思っていた」と言いますが、
文章を書いてみたら彼女の別な才能に気づくのではないかと思いました。
そして、別の形での癒しにもつながるのではないかと感じています。

彼女はこれまでもどこにも向けようのない気持ちを、
スマホに自分宛てに書いて送るということをしていたと言います。

ですから「書く」ことに対する抵抗感はありませんでした。
「やってみます」ということで、最初に送られてきたのが、
今日この下に掲載している文章です。

体験したことの無い人には書けない文章だと思いました。
どんなことを体験してきたのか具体的なことは知りません。
でもその体験を経てきた大学生の彼女の心象が伝わってきます。

たった一人で、こんなふうに生きていたんだ。。。
心が震え、胸が絞めつけられる思いがしました。

人に読まれることを前提に書いていない無垢な彼女の心象です。

コラムに掲載をお願いすることはいいことなのだろうかと迷いはありましたが、
彼女と同じような体験をしてきた人にとっては
何らかの救いになるのではないかと思いました。

押しつけにならないように十分に配慮しながら、
彼女にコラムへの掲載を打診してみたところ
戸惑いながらも了承してくれました。

その後も彼女からいくつか文章が送られてきています。
すべてみなさんに読んでいただきたいくらいですが
今回は彼女の処女作をみなさんにシェアしたいと思います。
(具体的な大学名、スーパー、居酒屋は、私の方で記号に変えさせていただきました。)

もう少し書くことに慣れてきたらブログを書いてみることを提案しています。

それはきっと、誰にも理解されず孤独にかろうじて命をつないでいる人たちに、
何らかのものを届けられるような気がしています。

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    【ある冬の日】 

18日間の連続勤務が終わるまであと9日。
折り返し地点にきたが、また同じ時間を過ごすのかと思うと体重が2倍になる気がした。
ホットコーヒーを飲もうとしたが、腕が持ち上がらなかったのでやめた。

夜勤が終わると、大学が開くまでの2時間をこのミスタードーナッツで過ごす。
大学の最寄駅だし、コーヒが120円でおかわり自由だからだ。
早朝の店内は人もいないので嫌な顔をされないですむのもいい。

大きな窓から商店街のメインストリートが見える。
右から左から代わるがわる人や車が真っ直ぐに過ぎていく。
朝はそれぞれの目的地に急ぐ時間だよね、と納得する。
所属が決まっているんだ。
宛先がみんな決まっていて、時間ごとに体を配達して生活している。

朝の2時間に私の所属はない。家もないので定位置もない。
私は自分という体の所属を1秒1秒自分で決めなければならない生活を送っている。
自分の力でいてもいい場所を作るということは簡単なことじゃないんだなと痛感する。

基本的に私は死にたい気持ちに反して健康な体の処理に困っていた。
生きれもしないが、死ねもしない。
そんな葛藤からいろんな判断をしないでいたら、
大学と夕方〜夜勤のアルバイトのピストン輸送をする生活になった。

8時50分になったのでレジへ向かう。
昨日と違う店員さんが「120円です。」という。
コイツ昨日もいたな と思われていなくてホッとする。
もそもそとポケットから小銭を出す。爪が伸びたな、と思った。

11月も過ぎると朝の空気はいよいよ冷たくなる。
水の中を歩いているみたいだな と思う。
ガチャガチャと人が増えた商店街を流されるように歩いていく。

9時~17時  ◎◎大学  ○号館
18時~22時  △△スーパー
23時~翌6時  ◇◇チェーン居酒屋

配送先が貼られた。
あとは決められたことをこなすだけ。
私は考えるのをやめた。