「AI」「クレプトマニア」「自閉症スペクトラム」etc.
掲載日:2017.11.14
時々、「紀代子さんって、次から次へとよく勉強するよね」と言われることがあります。
娘にも「お母さんって、よくそんなにいろんなことに興味を持って学ぼうとするね」と感心なのか、あきれてなのか、言われます。
確かに私は、「宇宙」から「菌」や「量子」まで、いろいろなことに興味があります。
その中でも、「人間」「人体」「脳」「心」などには特に興味がわきます。
ですから、心理学や脳科学、精神医学を含む医学、そして社会問題(人の心の問題は、社会と切り離せないと思うから)
などに首を突っ込んでいきます。
時には専門家が読むような本にもトライします。
苦手なのはITとかAI(人工知能)などそちら系で、できればそっちは避けて生きていきたい人間です。
(仕事上持たざるを得なかったスマホは、娘に何度教えてもらってもうまくいかないことがよくあります。)
なのに、最近AIの番組を観ています。 NHKの「超AI入門」です。
このタイトルだけなら私的には完全にスルーですが、この並列タイトルにまんまと引っかかりました。
≪人間ってナンだ! 超AI入門≫ ですよ!
そりゃ、観るでしょ! 毎週、観てますよ。
ところが、これが、やっぱり私には難しいんです。
何度もギブアップしそうになります。
誰にも強制されているわけでもないのに、「何で私はこんな拷問みたいな難しい番組を観ているんだ?!」
と自分で突っ込みを入れたくなります。
それでも投げ出さないで観続けているのは、やっぱり「人間ってナンだ?」という問いに近づくからなんです。
人間じゃない「AI」という限りなく人間に近づいてくるものを扱うことを通して、「人間」が見えてくるんですね。
この番組は私にとって「イタキモチイイ(痛気持ちいい)」感じなんです。
難しくてわからないことが多くてモヤモヤ気持ち悪くて、それでもあきらめずに見ていると
「そっか~!人間ってこうなんだ!」・・・『Aha!』という瞬間が来ることがあります。
これってハマります。
だから毎週、例のごとく録画して、わからないところは何度も巻き戻して、それでもわからない時にはあきらめて、、、、
それでもとりあえず「最後まで観る」。 そんな風にして観ています。
AIに限らず、心理学や脳科学、医学、社会問題など「人間・ヒト」を知ることができる可能性があるものは、
それが役に立つとか立たないとかに関係なくただ「学びたい・追求したい」私です。
そして、その、時には「宇宙」や「アート」などへの脈絡のない好奇心に基づいた学びが、
思わぬところで役に立つことが最近多くなってきました。
セッション中に、クライアントさんが「量子物理学」の話を始めたり、好きな「美術」の話をしても、
ある程度はついていくことができ、そのおかげでクライアントさんの世界を共有することができ、
そこからセッションが深まっていくということがあります。
また、クライアントさんが本題を話している中で、「母親がクレプトマニアなんですが」とか
「きょうだいが自閉症スペクトラムなので」「夫が広汎性発達障害で」などの言葉が出てくることがあります。
つい先日は、「プレイバックシアターに参加してきました」ということもありました。
そんな時、「それって何?」とそれまでの話を中断することをせずに、聞き続けることができます。
話の流れを止めることなく、そのワードがクライアントさんの環境を理解する助けになったり、
そのことである程度クライアントさんの置かれている状況を把握することができます。
そこから、クライアントさんのための深いセッションへと向けていくことができます。
必要であれば、そのことで困っているクライアントさんに適切なアドバイスができるのも、
いろいろなことに興味関心があり、ある程度まで理解しておきたい私の性格が役に立っているようです。
もちろん、コーチ・カウンセラー・セラピストとして、クライアントさんの話す事柄を
すべて理解している必要も無いし、私も知らないことのほうが多いと思います。
でも、ある程度の知識を持っていれば、セッションの時間の中でより効果的にクライアントさんに
役立つことができることを最近感じることがよくあります。
私のちょっと広すぎる好奇心アンテナが、ここにきて役立つという体験は、
自称ADHD(注意欠陥・多動性障害)の私としては、
この注意散漫力というか、いろいろなことに興味持ちすぎ(と言われる)
この性格が、「よっしゃ!」「いいじゃん!」と自分に言ってやれるようでうれしいです。
あくまで「自画自賛」ならぬ「自画自褒め」というところでしょうか。
地図が読めなかったり、4~5冊の本を同時並行で読んで読み切っていない本が何冊もあったり、
料理の実験に失敗したり、やりっぱなしで次に行きたいこの性格が、よく娘にあきれられますが、
こんな性格も、というかこんな性格だからこそ、誰かの役に立っていると私は思っています。
これからも、娘にあきれられながらも、私は私の好奇心のおもむくままに、
興味関心のあることを学び、追及していきます。
それにしても、人間って、凸凹しているほど魅力的だと思いませんか?
「完璧な自分」を目指して(本当は期待されたり強制されたりした結果なんですけどね)
「そうならない自分」にバツ印をつけ苦しんでいるクライアントさんたちとセッションしている時に伝えることは、
「バツをつけられたあなたのまさにそこに、あなたならではのステキさが潜んでいるよね」ということです。
あなたの「自分のダメだと思う部分」に潜んでいる「ステキさ」、
これを私は「ギフト」と呼んでいますが、それはどんなところでしょうね?