「2歳児の虐待死」から、児相の職員の質を問う

掲載日:2019.06.11


札幌で2歳の子が虐待で亡くなり、やりきれない気持ちです。
前回の栗原心愛ちゃんが亡くなった時にも、児相の不手際が非難されました。
それからまだ数か月で、またこうした事態を招いてしまいました。

この件にかかわった職員に対し、この仕事に携わる人間としての感覚や責任感の欠如に、
怒りを通り越して呆然として、1周まわってまた怒りが増幅します。

非難されて(されなくても)責任や痛みを感じている児相の職員はたくさんいます。
でも、何度このような事件が起きても、責任も痛みも感じない児相の職員もまた
間違いなく多数存在するところが、児相というシステムの大きな問題なのだと思います。

以前にも書きましたが、「児相の職員数が絶対的に足りない」のも事実です。
しかし、それに負けないくらい大きな問題は「職員の質」です。

児相に限ったことではありませんが、働かない公務員はかなりいて、
業務が滞って周りの人に迷惑をかけても平気な職員や、
「事なかれ主義」で「自分に責任が降りかからないように」ということだけにしか
興味関心がない管理職はたくさんいます。

そのような人によく付く枕詞(まくらことば)が、「悪い人ではないけれど」とか「悪意はないんだけど」です。
しかし私は、そのような人たちは確実に「悪い人」だと思います。

働かない無責任な人たちが、どれほど同僚や部下の負担やストレスを増やしていることか。
どれほど、「助けなければならない子どもたち」や「援助が必要な親たち」を放置していることか。
その悪影響は見過ごせないものだと思います。

「自分は仕事ができない」と自覚し悩んでいる人は、まだ救いがあります。
誰にだって得意不得意はあり、そのような人たちは今の仕事が合っていないだけなのですから、
その人が実力を発揮できる部署に配置換えをしてもらえばいいのです。
そうすれば、本人にとっても一緒に働く人にとっても良い結果になります。

そこを見極めようともせず、部下を適材適所に配置することを怠る管理職は、
残念ながらかなり存在します。
そのような管理職や、やる気が無くサボることばかり考えている人たちが一人前にカウントされ、
その働かない人たちの分まで誠実で責任感のある人たちが頑張ることを強いられています。
そういう心ある人たちばかりが責任や痛みを感じ、疲弊し追い込まれていきます。

「児相の職員数が絶対的に足りない」のも事実ですが、
その質、つまり「人としての誠実さ」や「その場で働く人間としての能力や責任感」も、
しっかりと判断してその職に就くようなシステムにしなければ、
これからも同じような痛ましい事件が起き続けるでしょう。

そしてその度に、また「認識が甘かった」という言葉を聞かされるでしょう。
「認識が甘かった」人たちは、その認識を変えることは期待できそうにありません。

問題が発覚すれば、携わった人たちには「厳重注意などの処罰」あるいは
「少し給料が減らされる」ことはあるかもしれません。

そして「自分が処分を受けたことに対する痛み」はあっても、
「自分の不手際や怠慢で子どもが亡くなったことへの痛みは、ほぼ感じることがない」のが、
「認識が甘かった」人たちの共通点だと思います。

「児相職員の質」
この問題としっかりと向き合う施策を取ってほしいです。
人数を増やすことは、ある意味、予算さえつければできることです。

でも「質を担保する」ことは、なかなか難しいことであり、
そこはいつも手つかずのままに放置されます。
やりづらいことをやらないままにするのではなく、
難しくてもそこに手を付けて改革していかなくては、根本の問題解決にはならないだろうと思います。

でもね、児相を含めた公務員の質を問うなら、
議員の質がまず問われなければならないですよね。
そうすると、きっとこの問題は手を付けられず、解決されないでいくんだろうな。。。

民間には、ギリギリの予算で、それら働かない公務員の尻拭いをしている心ある人たちが多数存在します。
やる気も無く働かない公務員、そして議員に支給するお金があるなら、
真剣に問題に向き合い少しでも良い方向へと奮闘している民間に資金を回してほしいと思います。
が、それもなされないまま進むのでしょうね。
・・・・・・

今回は「川崎登戸の殺傷事件」や「元農水省事務次官の息子殺し」について
思うところを書こうと思っていましたが、
児相に対する怒りや憤りが大きすぎて、今日はここまでとします。

誠実に限界ギリギリまで仕事をしている児相の職員が、これ以上追い詰められないことを祈ります。
今この時にも親から虐待を受けている子どもたちが、1日も早く発見され救われることを、心から祈ります。