「発達性トラウマ」について
掲載日:2025.03.25
前回、「次回のコラムで発達性トラウマについて書いてみます」
とお伝えしましたが、いざ書こうとするとはじめから行き詰まりました。
まだ新しい概念の内容をわかりやすく記述するのも難しいのですが、
読者の対象をどこに絞ればいいかで悩みました。
私のセッションを受けている人たちには、
「発達性トラウマ」という言葉は使わなかったとしても、
なぜ自分がこのような捉え方、あるいは反応をしてしまうかを
時々私から説明されているので「今さら」という内容かもしれません。
でも社会では「発達性トラウマなんて聞いたこともない」という人たちが多いでしょうから、
全く初耳の人たちに向けて書いたほうがいいのか。
これまで、「読む人のターゲットをどこにするか」なんて考えたこともありませんでした。
なんで今回はそんなことで悩むんだろうと思いました。
たぶん、いつものコラムは私の気持ちや考えを書いているからそのまま出せたけれど、
今回は「知識」や「情報」を伝えるので
「対象者の理解や認識のレベルに沿ったものを書かなければならない」
という気持ちになり、書く内容に迷いが出るのだと気がつきました。
このようなことにきめ細かく配慮しようとすると、Wordを打つ手が止まってしまいます。
なので、そういうことは一切配慮しないで書こうと思います。
読む人は、自分の欲しいところや理解できるところだけ自分流に受け取ってください。
と、このように開き直って、書きます。
まずは「トラウマ」についてです。
*トラウマの区分
「トラウマ」という言葉にはみなさんすでになじみがあると思います。
「トラウマ」という言葉から連想するのは、
「何か辛いことがあり、それが心の傷になって時々思い出し、支障が出る」
というようなものでしょうか。
あるいは「大災害や大きな事件・事故、性暴力被害などとても大変な目に遭った人が抱えるもの」
PTSDとは「被害を被って何年たっても辛い状況が続く症状」
というイメージがあるかもしれません。
現在社会的に認知されている「トラウマ」とは、
「大きな出来事によるものである」という認識でしょう。
それらは「単回性トラウマ」あるいは「ショックトラウマ」と呼ばれます。
第一段階の理解は「単回性トラウマ」「ショックトラウマ」の認識で間違いないのですが、
最近はその「大きな出来事」によるものでなくても、
「一見小さな出来事に見える事柄」によってもトラウマになることがわかってきました。
それが、まだ社会ではほとんど認識されていない
「複雑性トラウマ」「発達性トラウマ」です。
「発達性トラウマ」とは、
子どもの成長・発達段階において、継続的にストレスを受けてきた結果
それがトラウマとなりその後の生きづらさにつながっているというものです。
ショックを受けるような大きな出来事でなくても、
日常的にジワジワと心身にダメージを受けていくとトラウマになるということが
最近ようやく精神科医療の分野で認識されるようになってきました。
逃げられない環境で継続的にストレスを与え続けられると
子どもでなくてもメンタルをやられてしまいますよね。
例えば職場でいじめやセクハラ、パワハラ、モラハラなどを
継続的に受け続けると、その人にとってトラウマになりえます。
子どもの成長・発達の時期に日常的にストレスを継続的に浴びてしまうことによって
被るトラウマを、「発達性トラウマ」と呼びます。
そして大人になってから日常的に受けるストレスによって被るトラウマを
「複雑性トラウマ」と呼びます。
「複雑性トラウマ」は、支配的な立場にある人が弱い立場にある人に与える
継続的なストレスによって起こります。
弱い立場の人が、自分がそこで生きていくために
立場の強い人(子どもであれば「親」、大人であれば「上司」など)の
理不尽さや横暴さに従わざるを得ず、それが長期間続く時に、
徐々に心が蝕まれていき、トラウマを被ることになります。
つまり、抑圧と支配の関係が「複雑性トラウマ」を生み出すと言えます。
発達性トラウマが子ども時代に起こるのに対し、複雑性トラウマは生涯を通じて起こりえます。
「発達性トラウマ」は、より大きなカテゴリーである「複雑性トラウマ」の一部と言えます。
「発達性トラウマ」は、「愛着」問題とも深く関係しています。
「愛着」とは、子どもが育つ過程で「安心」「安全感」など発達の基盤を提供するものです。
その「安心の基盤」を提供するはずの親が、拒否的であったり無関心であったり、
あるいは自分の思い通りにならないとキレる罵倒する、など
「安心・安全」どころか「不安・恐怖」を与え続けると、
子どもは心身の健全な成長・発達を妨げられることになります。
人間は、自律神経系、内分泌系、免疫系という3つの調整系によってストレス(危機)に対処します。
例えば、道路を横断している時に車が猛スピードで突っ込んできたら、
身体が自動的に免疫系や消化器系を一時的にお休みさせて、
自律神経のうちの交感神経を優位にして「ばか力」を発揮することになります。
実はこれ、私の実体験です。
青信号で横断していたら大型トラックが突っ込んできました。
トラックの運転手は疲れていたのか赤信号を見逃して、
瞬時に飛び避けた私を見て初めて気づいたようでしたが、
そのまま猛スピードで行ってしまいました。
道の端に倒れ込んだ私に人々が駆け寄ってきて「大丈夫でしたか?」と声をかけ、
「すごい反射神経でしたね」と驚いていました。
自分でも驚くほどの反射神経と瞬発力でした。
(もしかすると見えない何かが私をふわっと抱きかかえて助けてくれた、
そんな感じもしましたが、そちらはまた別な話になりそうなのでいったん置きます。)
人間を含めた動物は、瞬間的な危機にはこのように対処します。
例えばライオンに襲われそうになったキリンが逃げおおせるのもこの機能が働くからですね。
でも、危機が過ぎれば、ホッとして副交感神経優位になり
免疫系や消化器系も活動を再開します。
私の例で言えば、この「大型トラックにひかれそうになった件」は、
全くトラウマになっていません。
ちゃんと危機を脱することができたからです。
まあ、「横断歩道ではたとえ信号が青でも注意して渡ろう」という意識にはなりました。
危機を脱することができれば、その体験は学びや成長につながると言えます。
私たちは、こうして瞬間的、一時的な危機(ストレス)には対処できる機能を有しています。
しかしストレスが継続的にかかると、それらの機能に問題が生じてきます。
一時的なストレス対処の機能が、継続的に強いられることによって誤作動を起こすことになります。
「親がいつ機嫌を悪くするかわからない」
「何が良くて何が悪いのかは親の気分で決まる」
「自分の気持ちではなく、親の気持ちを先に汲み取って、言ったり行動したりしなければならない」
など、常に緊張状態に置かれると、安心安全を感じることができず、
自律神経は常に「非常事態」の対応をし続けます。
子ども時代は特に、自分の生存を親に100%頼っています。
自分の世界は、ほぼ100%親との世界です。
先の私の例で、「トラックにひかれそうになった体験はトラウマになっていない」と書きましたが、
では「トラウマになるのはどのような状況の時か」というと、
子どもの例で言うと、まず挙げられるのが「自分でコントロールできない」ということです。
親に逆らえないのですから、なすすべがありません。
次に「予測不能性」です。
親の不機嫌のスイッチが、いつオンになり、どこに原因があるのかわかりません。
大人であっても、予測不能な状況に置かれれば私たちは大きなストレスを感じます。
そしてもう一つ大事なことが、「感情の表出・共有」です。
辛かったことを誰かに話せたり、その気持ちをわかってもらえると、
トラウマの分量は減ります。
しかし、子どもは辛いことを「辛い」と表出することさえ難しくなっていることが多いです。
身体や、言語になる前の感覚としては「辛さ」を感じていても、
それを意識化することや言葉にすることは難しいことが多いです。
これらは私が多くのクライアントさんたちと接してきて感じた
「発達性トラウマ」になる3大要素です。
「自分で状況をどうにもできない」
「何が起こるか(親の機嫌のスイッチ)がわからない」
「気持ちを表出することも他者に理解してもらうこともできない」
辛い状況下で、これら3大要素の環境を子ども時代に強いられれば、
心や身体にダメージが与えられるのは当然のことと思います。
私のクライアントさんの中には、「食事はちゃんと与えてもらったし、
暴力を振るわれたわけではない」という人も多いですが、
よく聞いていくと「安心・安全」はあまり感じられなかった人が多いです。
自分の存在はあまり歓迎されていなかった、疎まれていた、
親の望むような自分でいないと否定された、不機嫌になった、
あるいは「成績が良いこと」「卓越していること」などを強いられ
それを満たせない場合には「存在自体を否定される」などは、
「この自分でいていい」という深いところに育つ「自己肯定感」を育むことを
阻害されます。
傷つきやすい子どもに対して「存在に対する侵害」がなされていたと言えます。
だから大人になっても「生きている実感がない」とか「死にたい」などが
まとわりついて苦しみます。
・・・・・
ここまで筆が進むままに(指が打つままに)書いてきましたが、
まだまだ続きそうなので一旦ここで区切ります。
次回書けたら続きを書きますが、
何だか疲れてきちゃった。(笑)
先日のNさんに改めてGooglemeat移行に関してのサポートのお礼を伝えた時
返信にあった言葉を今回も掲載させていただき、結びとします。
> 自由は楽しいです。
> 最近やっとわかりました、自由は心の栄養であること、
> 言うことを聞かない相手に「冷たい」「裏切った」などといって
> 精神攻撃をかけることや経済的攻撃をして支配下に置こうとするのは
> 普通に虐待の一種であることが。
> 小さい頃からやられていると、こんな簡単なことに気付けなくなるから怖いですね。
本当にNさんの言う通りで、
「小さい時からやられていると」それが当たり前なので、
大人になっても「おかしい」と気づくことは難しく、
ただ訳も分からず苦しさだけを感じて過ごすことになります。
一人では「おかしい」と気づくことは難しく、
だから誰かから「それっておかしいよ」と言ってもらう必要があります。
そして気づいたところから、癒しの旅が始まります。
「癒しの旅」もまた、ひとりでは難しい。
そこはやはりプロの力が必要となります。
子ども時代に「自分の心が壊れないために」身につけた適応戦略が、
大人になった今、あなたを苦しめているのだとしたら、
そこと向き合い、不必要な戦略は修正し、今の自分、これからの自分が
幸せでいられるように新しい在り方を身につけていきましょう。