「ひこうき雲」

掲載日:2022.05.24


松任谷由実の「ひこうき雲」を聴くと、思い出す人がいます。

その人は中学時代の同級生でした。
私の浅い記憶の中では「いつの間にかいた」という感じなので、
たぶん転校生だったのだろうと思います。

痩せて浅黒い肌をしていた彼は、今思い出しても「かげろう」のようで、
どこか他の人たちとは違った印象でした。
頭は良くて、私たちの知らない知識を披露すると止まらない時がありました。

同級生のことはうっすらとしか覚えていないのに、
なぜか彼のことはその風貌や雰囲気を今でも思い出すことができます。

時々彼は、私に知識で挑んでくるようなことがあり、
それに私が反応すると更に絡んでくるようなところがあり、
私は今の言葉で言うところの「うざいな~」と感じていました。

学校を休みがちな彼が、長期間休んではたまに学校に来るようになっても、
2年生ながらソフトボール部のキャプテンになった私は部活のことで頭がいっぱいで、
彼の存在をほとんど意識することはありませんでした。

そしていつの間にか彼が学校に来なくなり、
数か月後に担任から彼が亡くなったことを知らされました。

彼が重い病気を抱え入退院を繰り返していたことを、その時初めて知りました。
事務連絡をしているような淡々とした教師の在りようとも相まって、
私の中では想定外の衝撃がありました。

「聞いてないよ!」
ひと言でいうとそんな気持ちでした。

私の胸の中は後悔でいっぱいになりました。
せめて入院していると知っていれば、お見舞いに行きたかった。

誰かお見舞いに行った人はいたのだろうか。
親しい友人は特にいなかったような彼は、
お見舞いに来る人もなく一人ぼっちで死と向き合っていたのだろうか。

そもそも担任は、彼が入院していることをなぜ私たちに教えてくれなかったのか。
彼や家族の意向だったのだろうか。
いろいろな思いが私の胸に渦巻きました。

時々彼が、私をまぶしそうに見ていることに気づいていました。
「ちょっと気持ち悪い」と感じていました。

でも今から思えば、病気がちの彼が、
ソフトボール部のキャプテンとしてイキイキとしていて、
成績も300人近くいた同期生の中で常にトップ10の中にいた私と、
せめて知識の世界では一緒にいたかったのかもしれません。

そう思うと、
もっと優しくしてあげればよかった。
もっと思いやりを持って接していればよかった。
もっと彼をしっかりと受け止めればよかった。
そんな後悔が渦巻きます。

≪ゆらゆらかげろうが あの子を包む
≪誰も気づかず ただひとり
≪あの子は昇っていく
≪何もおそれない そして舞い上がる
   中略
≪高いあの窓で あの子は死ぬ前も
≪空を見ていたの 今はわからない
≪ほかの人には わからない
           by 松任谷由実

あの頃の私が、せめて今くらい人に思いやりを持てていたら、と
「ひこうき雲」を耳にするたびに胸に痛みが走ります。

そして、思い出すと胸が痛む同級生がもう一人います。

彼は常に明るくてムードメーカーで、
そして心配りができて人を傷つけない人でした。
今でも彼を思い出すと優しさが伝わってくるような、
そんな存在として私の中に残っている人です。

40代になった頃、同級生から彼が「引きこもりになっている」と聞きました。
長い間家に引きこもり、人と会おうとしないということでした。

中学時代の彼からは想像もできないことでした。
「実はあいつの家は大変だったんだ」と彼と親しかった同級生が言っていました。

「中学時代とは別人になっている」という言葉に驚くばかりで、
どう「大変だった」のかは、その時に確かめることはできませんでした。

別人になってしまうほどの大変さを家庭に抱えていながら、
そんなことを微塵も感じさせず、彼はあの明るさや優しさを私たちに向けてくれていたのですね。

きっと、家庭での大変さと私たちへの優しい心配りで、
彼の心は疲れ果ててしまったのかもしれません。

できるなら会いたいな。
今でも生きているのなら、あの頃、彼の優しさに救われていたお礼を伝えたい。
そして、それ以上は何も言わず、ただ彼のそばに座って一緒にいたい。

子どもたちは、そして大人も同じだけれど、
背後に様々な家庭の問題を抱えながら、何事も無いように振舞って生きているんですね。

そしてそれは私も同じでした。

成績優秀で運動神経抜群で、そこそこ性格も悪くない(?)。
そんな私は同級生から見ると、すべてに恵まれた人に見えたかもしれません。

しかし私は、家では毎日のように父からの暴力におびえて暮らしていました。

ある定期試験の日の朝、目を赤くして登校した私に、
どんなに頑張っても成績で私に勝てない男子がからんできました。

「お前、ゆうべ徹夜して勉強してたんだろう?」
「そんなにまでしていい成績取りたいのか?」

私は黙っていました。

試験の前日、徹夜で勉強どころか、
酒に酔って母を殴る蹴るの大暴れをする父から母を助けようとして、
私も殴られ外まで逃げて…という一夜を過ごしていました。

勉強どころか一睡もできずに試験日を迎え目を赤くしていたことを、
私は誰にも言いませんでした。

子どもはそうですよね。
実は家で辛い思いをしているなんて、友だちに知られたくはありません。
子どもは子どもなりにプライドがあります。

当時の私もそうでした。

成績優秀、運動神経抜群。
教師たちからも一目置かれている。
すべてに恵まれている(ように見える)自分を保っていました。

きっと他の同級生たちも、家庭にいろいろな問題を抱えていたことでしょう。
それは今の子どもたちも同じでしょう。

子ども時代の心の傷が大人になって深刻な影響を及ぼすことがあることを知っている今の私は、
子どもたちの育つ環境が少しでも良くなることを願っています。

そして元気そうに振舞っている子どもたちに、
あの頃はできなかった心配りをしていきたいと思っています。

大人たちにお願いしたいです。
自分の子どもでなくても、子どもたちの痛みに気づいてあげてください。

その子が過酷な毎日を送っているとしても、
せめてあなたがその子にとっての優しい一人の人になってあげてください。

あなたの一言や優しいまなざしが、その子の今を支え、
そして生きていく支えになるかもしれません。