天使が死んだ … Ryuchell
掲載日:2023.07.18
タレントのRyuchell(りゅうちぇる)が亡くなりました。
「また芸能ネタ!」と思う人もいるかもしれませんね。
先日のジャニー喜多川の件についても
「あなたは余裕があるから、そんなことで怒っていられるのよ」と、
ある人から言われてしまいました。
私以上に怒りや憤りを感じているという友人もいましたが、
別の友人からは、「芸能界ではよく聞く話よね」
「女優が作品に出るために監督やプロデューサーに体を差し出すのはよく聞く話よね」
と言われました。
私としては彼女のその反応はショックでした。
彼女は、障がい者やLGBTQの人たちの人権に敏感で、
そのような人たちの人権が侵害された時にはかなり反応する人でしたから。
何十年にもわたって何百人もの少年たちが性被害に遭っていた。
(最近、70年前の8歳の時にジャニー喜多川から性被害に遭っていたと告白した人もいましたね。)
そのことに怒りを感じ、うやむやにしてはいけないと思うことは、
余裕がある無しに関係ないと思います。
社会的に重大な問題だと認識する必要があると思っています。
何百人もの未成年に性加害を犯しても優秀な音楽プロデューサーであったなら
罪に問われないとしたら、私たちの善悪の判断はどこに持っていけばいいのでしょう。
もしもジャニー喜多川の犯したことが一切問題にされないとしたら、
今刑務所に入っている人たちは全員釈放されていいんじゃないでしょうか?
性犯罪は「魂の殺人」と言われています。
被害に遭った人を深く傷つけ、その後の人生を歪ませます。
生きながら死んだように生きていかざるを得ない人もたくさんいます。
被害に遭った少年たちの中には、人知れず命を絶った人もいたかもしれません。
今刑務所に入っている殺人犯で最多の殺人を犯した人は誰ですか?
あるいは死刑になった殺人犯は、何人殺して死刑になりましたか?
何百人もの魂を殺したり傷つけたりした人が
仕事が優秀だからと言って何の罪にもならないのだとしたら、
この国で生きていくことは恐ろしいと感じるのは私だけなのでしょうか。
この問題を「芸能界あるある」として軽く扱われることには「No!」を言いたいです。
そんなふうに私は強く思っているけれど、
今回の周りの反応に、改めて、
「みんなが自分と同じ考えや感覚でいるわけではない」という
当たり前のことを実感しました。
そんな「みんなそれぞれ違うよね」ということを、
そして「でも、人を傷つけるのはやめようね」と
その「生き方で示してくれた」のがRyuchell(りゅうちぇる)だったと思います。
私はSNSをしないので、『りゅうちぇる』の言動を逐一キャッチしていたわけではありません。
でもNHKのEテレなどの番組を通してのコメント、
LGBTQに関わらずマイノリティの人たちへのまなざしや考え方、
そしてたまにネットニュースで扱われるご自身の生き方を知り、
一人の人間として学ぶことが多い人だと感じていました。
とても繊細に人の痛みや生きづらさを感知し、
そこに深い愛情で寄り添うことのできる人だと感じていました。
また、出身の沖縄に対しても、愛と共に
私たちに投げかけるものがあったように思います。
『りゅうちぇる』は、私たち個人の内側にも、この社会にも、
常に平和を願っていたように思います。
これまで完全に無いものとして扱われてきた
「LGBTQのカテゴリーにも収まらない人たち」への気づきや配慮も、
私は『りゅうちぇる』から教わりました。
自分でも気がついていなかった「無自覚な偏見」に気づかされることもありました。
『りゅうちぇる』は、私の人権感覚の先生でした。
『りゅうちぇる』自身も自分の感覚や心の羅針盤を大切に生きたいと、
この枠だらけの社会の中で試行錯誤しながら生きてきたと思います。
それは、これまでの社会に無い生き方の場合もあり、
私は「そんな選択もあるんだ!」と目を開かされる思いをしたこともありました。
それが、「既存の枠の中で何の疑問も抱かずに生き」
「他人が既存の枠からはみ出ることを許さない人たち」からの攻撃に
さらされ続ける原因にもなったようですね。
自分の思いを大事に生きるけれど、それを他人に強制しない。
『りゅうちぇる』は、かき消されてしまうような小さな声や
音色が違うさまざまな人の声が聞こえる耳と心を持っていたように思います。
LGBTQの人に「自分らしく生きる」ことの勧めが時に辛さを強いる可能性にも触れて、
「あなたが大事にしたいことをしていっていいんだよ」
「むりにそうしなくてもいいんだよ」
「あなたが選べばいいんだよ」と
「それぞれの正解があっていいんだよ」と
いつも優しく語りかけていました。
そしてLGBTQを始め『りゅうちぇる』自身の生き方や選択に無理解や批判的な人たちに対しても、
決して攻撃的にはなりませんでした。
怒りをぶつけるようなことはしませんでした。
そんな『りゅうちぇる』からすると、
私の「なんでみんなジャニー喜多川に怒らないの!」という気持ちも、
人に強要してはいけないことになりますね。
私自身も、自分と同じ感想や感覚を持たない人たちに対して
いらだちを抱いていることに気がつきます。
自分ごとに引き寄せると、「一人一人の気持ちや意見を尊重する」ということが
いかに「言うは易く行うは難しい」かがわかります。
そんな難しいことを、20代の『りゅうちぇる』は、やっていました。
『りゅうちぇる』は「自分はこう生きたい」を大事にしながら、
「それぞれの選択を尊重する社会になったらいいな」と
優しく愛を持った言葉で声を上げ続けていました。
そんなあなたが自ら命を絶ってしまった…。
今残念に思うことは、あなたを支えるご縁が繋がっていたらな、ということです。
そうしたら、あなたを独りでこの社会と闘わせたり、
独りで死なせることはなかったのに。
あなたの大切なpecoちゃんとリンクくんとの幸せな生活を
この先も続けられるようにサポートすることができたのに…。
そう思うと本当に残念でなりません。
あなたを失って、
多くの友人たちが「もっと何かできなかったのだろうか」と後悔していることでしょう。
でもこういうことは、友人ではないほうがいいこともあると、私は思います。
あなたのような優しく思いやりのある人は、
自分の辛さを人に受け止めてもらうことさえ申し訳なく感じてしまうから、
本当に辛いことは誰にも打ち明けられず一人で抱えることになるでしょう。
だからこそ、友人のような個人的な付き合いがない、
それでいてあなたの人生を応援したいと思っているプロフェッショナルに
話を聞いてもらうという選択をしてもらえたら良かったのに、と思います。
「この社会で誠実に生きている人が心を壊されずに
その職業や人生を全うできるように支えたい」と思ったことが、
私がカウンセリングやセラピーそしてコーチングの仕事をしようと思った
大きな理由の一つだったから、
なおさらそのような気持ちになります。
たまにあなたの言動を見聞きするだけだった私でさえ、
あなたの死にこれほどの悲しみを感じているのですから、
あなたに支えられ生きる勇気をもらった人たちは、
あなたの死をどれほど悲しんでいるだろうと思います。
でもね、りゅうちぇる、もう人のことは心配しなくていいのよ。
あなたはもう十分みんなのことを思いやってくれました。
だからもう安心して天国で休んでね。
あなたはこの社会に大切なことを身を持って示すために地上に送り込まれた天使だと
私は思っています。
大変な任務を27年間ありがとうございました。
もう、神さまにハートと翼は修理してもらったかな?
神さまに抱かれて、今は安心して本当の自分でいられているよね。
pecoちゃんとリンクくんは、
あなたが愛と勇気を手渡した人たちによって優しくしっかりと守られると思います。
そしてあなたがこの社会にまいた種は、
ひそやかにではあってもしっかりと根を張っていくことと思います。
私もどこかでお役に立てる機会があれば、喜んで関わらせていただきます。
今はまだ、あなたのことを想うと涙が出ますが、
愛と感謝を込めて、あなたのことを想い続けます。