LGBT?同性婚? 見るのも嫌だ

掲載日:2023.02.14


総理秘書官の「同性婚についての発言」に対して批判の声が大きくあがり、
このことをきっかけに自民党内で反対意見が多かったLGBT「理解増進」法
(「差別禁止」ではなく「理解増進」というのが私には理解不能なのですが!)
の制定が進みそうという「怪我の功名」的なことになっています。

「同性婚」や「この発言」に対して賛成反対異論さまざまな意見があることは承知の上で、
今日は私なりの意見というか思いを書いてみたいと思います。

私個人としては、この前秘書官のような気持ちはありません。
むしろ、なぜか私は以前からLGBTQの方たちからカミングアウトされることが多かったです。

それほど親しくないうちに突然ポロっと告白されて、
「えっ!私にそんなことを話しちゃっていいんですか?」と驚くことがよくありました。

一人で抱えているには辛すぎて、私と話しているうちに
「少なくともこの人は自分を拒否しない」と感じるのかもしれません。

私は「人権派」でもなく「いい人ぶっている」わけでもなく、
ただ普通に、例えば「私はバラが好きなの」という人に、
「そうなのね」と思うのと同じような感じで
LGBTQだと言われても「そうなのね」と受け止めるだけの感覚です。

でも、「そういう感覚ではない人もいる」ことも受け止めたいと思っています。

しかしそれは、「自分が受け入れられない人や事を
傷つけたり差別していい」と言っているのではありません。

そのような点では、前秘書官は「差別をなくす方向に社会を導いていく」立場にあると言えて、
その人が自分の感じ方考え方を基にして
「LGBTQの人たちへの差別を無くすことの障害になる」方向に施策を進めることは
ダメなんだと思います。

個人として「好き嫌い」はあって当然だけれど、
公人としてはそれを越えて多くの人たち、つまりマイノリティの人たちを含め、
幸せに暮らすことを目指す行動をしなければならないと思います。

どうやら彼は、自分(たち)の気持ちを反映させるような方向へ施策を進めようとしていた、
そのことが問題だと私は思います。

彼が「見るのも嫌だ」と感じたとしても、
(もちろん当事者としてはそんなふうに言われたらとても嫌な気持ちになるけれど)
そう思ったり感じたりしたことを批判する気には私はなれません。

「その気持ちが変わってほしいな」とは思いますけどね。

私は普段から自分に対してもクライアントさんに対しても
「本当はどう思っているか、感じているか」を大事にしています。

例えば「育ててもらった親のことを嫌いだなんて思ってはいけない」
という気持ちに縛られて苦しんでいるクライアントさんに対して私は
「その思いはちょっと脇に置いて、本当はどう感じていますか?」と聞きます。

その「本当の気持ちや感覚」から、問題の本質に入っていくことができます。
いつも言うのですが、「感情や感覚に『良い・悪い』はない」のです。
ただ「そう感じている」ことを大事にします。

その点からいうと、先の総理秘書官の発言も、
「そんな考え方はけしからん!」と言っても何の解決にもならないと思います。

その人が「嫌だ」と感じることまで否定することはできないと思います。
正直な感情を否定されると、その「感情」は内に押し殺して生きなければなりません。

「正直な気持ち」を押し殺して、
「こういう気持ちであるべき」と社会から押し付けられたもので生きていくと、
どこかでそのひずみは増大していきます。

そのような意味では、先の首相秘書官の感情を強く批判する人たちも、
岸田総理がしたように単に「言語道断」と更迭するだけでも、
どちらも「賛成」「反対」の人たちの間の気持ちの溝を埋めることにはならないと思います。

特に岸田さんは、前秘書官の発言のどこがどう「言語道断」なのかを解説して、
従ってこの「同性婚やLGBTQの課題に関して、このように取り組みます」と
明確にする必要があると思いますが、そこはすっぽり抜けているようです。

聞こえてくるのは、「今年5月に開催されるG7広島サミットでは議長国なので、
それまでにこの問題を何とかしなければならない。
だから、とりあえずは「LGBT理解増進法」を成立させよう」
こんな感じですよね。

LGBTQの人たちへの偏見や差別問題に対して
「少しでも良い方向に進めていこう」という気持ちからではなく、
「G7サミットで他国からマイナスな印象を持たれないように最低限を取り繕っておこう」
という意図からの路線変更に情けなさを感じます。

今回のコラムはこの辺でいったん終了とします。
ただ、この問題をきっかけに私の中で
「嫌悪感って、どうやって生まれるのかな?」という好奇心が発動しています。

これを書き始めるとまた長くなるので、別の機会があれば書いてみたいと思います。

この件に関して今私の頭に浮かんでいるのは、4つの個人的な体験です。

① 「カエルは苦手だけど、サンショウウオは可愛い」という私の感覚
② 相談業の神様のような人が「同性愛の人の話は聞けない」と言ったこと
③ 「この人は本当に人を尊重できるんだな」とリスペクトしていた人が
「黒人との握手で一瞬躊躇した自分にショックを受けた」と話してくれたこと
④ 小学生だった私の娘は、特殊学級のお友だちに心の壁が全くなかったこと

このあたりから偏見や嫌悪感、差別意識がどう生まれるのかを探ってみたいと思います。

今回はここまで。

とりあえず、あなたの中にはどのような「偏見」や「差別感」がありそうですか?
「全くない」と言い切れますか?