体力がついていたぞ

掲載日:2022.06.07


先日の日曜日、突然ライン電話が鳴り、驚いて出ると友人のCからでした。
「天気も良くなったから、会いたい」と言います。

友人のCについては、ずーっと前にこのコラムでも書いたことがありますが、
二人目の子どもを産んだ数か月後に、目が覚めたら体が動かなくなっていて、
ある日突然原因もわからず障がい者になってしまったという人です。

その後、夫は逃げ出し、重度障がい者の身で
二人の幼い子どもを抱えたシングルマザーになったという人です。

私が彼女と出会ったのは、子どもが小学校くらいの時でした。

とっても大変な人生を送ってきたのに悲愴感がなく、
明るくて、自分の望み(例えば参観日に行きたいとか)を言うけれど、
それは母親として当然の願いであり決してわがままではない。

もちろん時には落ち込むこともあるけど、
またそこから立ち上がって自分を立て直す。
感情豊かで面白くて、
そんな彼女に好感を持ち、私たちは友だちになりました。

今は子どもたちも独立して二人とも東京に住んでいます。
ここもすごいですよね。
障がいがある身であっても自分のことで子どもたちの人生を縛ることなく、
子どもたちの人生を尊重している姿は世の多くの親たちの鏡だと思います。
(こう書くとすぐに調子に乗るヤツなので、あまり褒めたくはないのですが。笑)

懸命のリハビリでかろうじて左の手足が少し動かせるようになり、
その不自由な左の手と足で車いすを操りながら家の中を移動し生活しています。
週に数回のヘルパーさんのサポートを受けながら一人暮らしをしています。

ただし、全身の機能が麻痺している状態なので、右半身はほぼ動きません。
寝返りも一人ではできず、夜ベッドに横になったら朝まで同じ体勢のままです。
呼吸や飲み込みも普通の人のようにはいかず困難を抱えています。

そんな彼女に、このコロナ禍は過酷でした。
彼女にとって感染は、ほぼ「死」を意味しました。

コロナ前には天気の良い日には電動車椅子で一人で散歩や買い物に出かけていた彼女は、
この2年間外に出ることはなく、私も含め友人と会うこともなく、
ヘルパーさんなど限られた人と家の中で接触するくらいでした。

明るく社交的だった彼女にとって、どれほど過酷な日々だったかと思います。

そんな彼女からの突然の電話で「会いたい」コールです。
応えないわけにはいきません(笑)。

午前中のセッションがすべて終わり、午後には予約が入っていませんでした。
気づけばお天気も良い。
「思い立ったが吉日」です。

確認すると、外に出ることはもうそれほど心配していない様子だったので、
「じゃあ、これからドライブに行こう!」と提案しました。

30分後に彼女の家に迎えに行き、車椅子の彼女を私の車の助手席に乗せます。

と、簡単に書きましたが、私の車は普通車なので車いす対応ではありません。
全身が拘縮している彼女が助手席に乗り込むことは実はかなり大変なのです。

助手席ギリギリのところに車椅子を寄せ、
自力で立てない彼女が何とか車椅子から立ち上がれるように、
開けた窓に彼女が不自由な左手をかけ立ち上がろうとする力を私がサポートし、
車椅子から何とか体が浮いたところですかさず車椅子を抜き取り、
今度はお尻が座席に乗るように体を支えて向きを変え、
二人で力を合わせて彼女のお尻が座席の5分の1くらいの所に何とか乗ったら、
拘縮している両足を私が力づくで膝のところから曲げて、
両足を座席の下にむりやり押し込め、
そこからまた二人で力を合わせてお尻を何とか座席に安定させます。

「ドライブに行こう!」
言うのは簡単だけど、彼女の場合は車に乗り込むだけでも大変なことなのです。

でもね、今回一番書きたかったことは、ここからです。

以前の私は、この一連の動作にかなり困難を抱え、下手をすると腰を痛めてしまいました。
「ドライブに行こう」という私の言葉に彼女が一瞬躊躇したのは、
この介助が私の大きな負担となるからでした。

前に彼女を車に乗せた時から2年以上が経っています。
少なくとも2年分は老化している私と、6歳年下とは言え同じく老化して筋力が落ちている彼女。
この二人で彼女が助手席に乗れるようにすることは、普通は困難と思います。

彼女もそれを心配していましたが、
私は何となくやれる気がしていました。

「私、できるような気がするの」「ダメもとでやってみようよ」と言い、
やってみたら何と2年前よりスムーズに彼女の乗車を介助することができました。

以前は、車椅子をたたんで持ち上げて車の後部に乗せるだけでも一苦労だった私が、
何の問題もなくスイっと持ち上げて乗せたのを見て、彼女も驚きました。

えへっ! やったね!

実は私、体力がついたんです。
テニスのおかげです。

しばらく前に「テニスを始めた」と書いたと思います。
もちろん自分の楽しみのためなのですが、実は、
テニスを始めた動機の20%くらいは「介助ができる体力をつけたい」というものでした。

テニスを始めた頃は体力が全くなくて、すぐにゼイゼイ言っていました。
でも、「 Cの介助ができる体力をつけるんだ」という気持ちが、
きつい練習でも続ける原動力になりました。

今回、その成果が見事に出ました。
継続は力なり!
楽しさは大前提だけど、目標があると更に頑張れる!

「すごいね!」とCに驚かれながら、ちょっと「えへん!」な気分の私。

行先は近場の「道の駅」にしました。
ところが日曜だということを忘れていました。
駐車場が非常に混んでいました。
車椅子用駐車場もふさがっています。

「うわー、どうしよう」と思ったら、ちょうど出ていく車がありました。
しかも、空いた場所は列の端です。
端じゃなく車と車の間の場所だったら、ドアを大きく開いて時間をかけて
先ほどの動作の逆をして彼女を降車させることができません。
端が空くなんて、なんてラッキーなんでしょう。

車椅子で花の公園をゆっくりと散歩して、
ちょっと贅沢なドリンクを手にひと休みしようとしたら、
テラス席があんなに込み合っていたのにちょうど1テーブル空きました。

先ほどの駐車スペースと言い、このテラス席と言い、
私たちのために神さまが空けてくれたかのようです。

きっと、2年間辛い我慢の中にいたCのための
神さまからの優しさなのだろうという気がしました。

良い天気の中でおしゃべりを楽しんで、
そしてまた乗り降りにかなりの時間とエネルギーをかけて、
私たちの2年以上ぶりのドライブはミッションコンプリートです。

閉まりかけたドアを車椅子が通るまで押さえてくれていた人、
車椅子が通る道をさりげなく空けて通りやすくしてくれた人たち、
見知らぬ人たちの温かさを感じながらの日曜の午後でした。