80人が見守る中でセッションを受ける

掲載日:2021.05.11


我が家の庭に30本ほどアスパラが顔を出しています。
明日には2~3本が食べられそうです。

採りたてのアスパラは甘くてジューシーです。
幸せな季節が始まります。

連休中の1週間のトラウマケアのトレーニングが終わりました。
昨年同様、講師との時差の関係で、午前中と夜の2回に分けての研修でした。
よく頑張ったね、私(たち)!

今回のオンラインでのトレーニングでは、
zoomの高度な技術的サポートをしてくれる人たちを含め、
受講生と同程度のサポートメンバーが参加してくれているので、
参加者は総勢80人ほどになりました。

トレーニングなので、黙って座って講義を聞くだけではありません。
講義の後は、アシスタントのサポートを受けながら受講生同士の練習会があります。
そして、講義と練習会の間をつなぐのが、デモセッションです。

講師がお手本のセッションをみんなの前で行います。
セッションを受けるのは受講生で、自ら進んで手を上げます。
自分のナマの課題をテーマに、講師からリアルにセッションを受けます。

守秘義務があるので、セッションの内容は外部に漏れることはありませんが、
見守る80人のメンバーには自分の深い部分をさらすことになります。

そうやって私たちは「自分を使って」
クライアントさんに役立つことを身につけていきます。

時間割としては、午前中に講義があり、午後は休み、
デモセッションは夜の部の18時から行われ、その後に練習会があります。
セッションの希望者は当日の10時45分までに担当者に連絡を入れることになっています。

トレーニングは昨年10月から始まり、5月の連休と、年に2回を3年間続けます。

私は、3年の間にデモセッションに出ることはないだろうと思っていました。

今の私には特に困ったことも無いし、これといった悩みも無く、
ほぼ毎日ご機嫌に暮らしています。
むしろ受講生同士の練習会で出すテーマにも困るくらいでした。

そんな私が、まったく想定外にトレーニング5日目のデモセッションに出ることになりました。

5日目の午前中、講義を聞いている最中に、私は解離してしまいました。

解離と言っても、どこかに飛んで行ってしまうとか人格が変わるとか、
そんな重いことではありません。

ただ、「今・ここ」にいられなくなってしまう、
つまり、講師と私の間にぼんやりとした膜が張られたようになって、
講師の声は聞こえるのに意味のある言葉として私には入ってこなくなりました。

自分でもビックリしました。

解離の知識は持ち合わせていたので、そんな状態になった自分に驚きながらも、
「私、今、解離が起きている」と自覚できました。

なぜ解離が起きたのかも、なんとなくわかりました。
講師の話が、私の奥深くに刻まれたトラウマに関係することを刺激したからのようでした。

自分が体験して初めて気づきましたが、
その日の講師の話を聞いているうちに「これは自分のテーマだ」と受講生が感じ、
自然にセッション希望に手を上げることにつながるようです。

私は、解離しながらも「これは私のテーマだ」「セッションを受けなくちゃ」と感じました。
講師の声がくぐもって耳を流れる中で、
急いで担当者にチャットで「セッション希望」と連絡しました。

「名前」と「セッション希望」と簡単に「希望理由」を書くだけなのに、
頭がほとんど働かないので私にとって大変な作業でした。

単純なことなのに、大きな岩を動かすほどのエネルギーが必要で、
私は汗だくになり心臓が飛び出すほどでした。
それが10時43分。(なぜか、そこだけ覚えています!)

誰がセッション希望に手を挙げたかは私たちにはわかりませんが、
参加希望者の中から一人が選ばれて、
午前の最後に「今日のデモセッションは○○さんに決まりました」とアナウンスされます。

私は、「自分が選ばれるだろう」と、なぜか確信しました。

講義の後は、zoomで受講生同士が少人数の部屋に分かれて、感想などを話し合います。
私はその日、メンバーに「ごめん、私、たぶん講義の最中に解離が起きて、
今は動揺していて何も話せない」と伝えました。
そんな私に仲間はとても受容的に接してくれたので、救われました。

午前の最後に「今日のデモセッションは浜田紀代子さんに決まりました」とアナウンスされました。

午後は休憩になりますが、私の心臓は動悸の激しさがおさまりません。
「このまま死んでしまうのではないか」と思うほど、動悸の激しさは続きました。

しかも、「セッション希望」と手を挙げたものの、「私は何を話せばいいのだろう。。。」
自分に何が起きているのかわからないので、何をどう話せばいいのかまったくわかりません。

こういう時に、知識は助けになります。
「トラウマがあるって、こういうこと」と、どこかでもう一人の私が声をかけてくれます。
「うまく言葉にできない」「記憶が飛んでいる」「論理的に話せない」

「それで大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれるもう一人の私がいます。

そしてもう一人、茶目っ気のある私が「これって、めっちゃみんなの役に立つと思うよ」と言います。

そんな「優しい私」と「茶目っ気のある私」の声を感じながら、
かろうじて自分を支え、動悸が激しいまま長い午後を過ごし、夜の部を迎えました。

しか~し!
なんとその日に限って、現地の回線トラブルで講師がzoomに入ってこられなくなっていました。
「ええ~!」「私の心臓はもう飛び出しそうなんですけど」・・・・・

15分遅れでやっと講師が画面に現れましたが、いつもと画面が違い不自然な感じです。
なんで私の時に限ってこんなことが起きるんでしょう。
デモセッションが始まる前に、すでに私は「疲労困ぱい」でした。

これも後で気づきましたが、トラウマを抱えている人は
こんなふうに「疲労困ぱい」になってエネルギーを使い果たしてしまうから、
日常生活を送るエネルギーが無くなったり鬱になったりしてしまうんだ、と
知識としてわかっていたことを自分の身体を通して実感しました。

そういう意味では、セラピストとして「クライアントさんをより理解できる体験をした」と
今回自分の身に起きたことに感謝しています。

でもそれは今思うことであって、あの時の私は、ほぼパニック状態でした。

そうしてやっとデモセッションが始まりました。
Zoom越しとは言え、総勢80人が見守る中で、私は自分のトラウマと向き合います。

長くなるので、この続きは次回にね。